京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

『屋根屋』

2018年10月14日 | こんな本も読んでみた

「私」は、雨漏りする屋根の修理を工務店に依頼した。やってきたのが屋根屋・永瀬だった。永瀬は、かつて寺社建築専門に、寺の屋根に上がっていた。個人営業になってから、代金未払いで資金繰りができないなど苦労が重なり心療内科にかかっていた。そこの医師の勧めで夢日記をつけ始め10年になる。夢を作り上げ、好きなところに行けるという永瀬の話に引かれた「私」は、いい夢を自在に見る方法を教わる。「寝る前に心に思うと、見れるようになります。」

二人の屋根に寄せる想念がまぼろしを生み出した。どこにもない場所。身体はなく、魂だけがある世界。
「奥さんと私と、どっちが先に着くかわかりまっせんが、向こうの屋根で落ち合いましょう。夢のドッキングですたい。」
こんなことができたら楽しいことだろう。どなたかが言った「異床同夢」の言葉が浮かぶ。

寺の大屋根の上へ、五重塔の屋根の端っこへ。普通の人間は立ち入れない禁断の場所へ。フランスへも、大聖堂を見に連夜の夢の旅行だ。、
寺の屋根は人間の住む箱のフタとはおもむきが異なる。広くて大きい船に似ている。軒がゆったりと反り返った大船は、人も動物も西方浄土へ向かうようだ。鬼面の鬼瓦くらいが見送っている。

「夢は脳の重要な排泄物」と永瀬。、今がつらいと、実体のない過去や明日へ、夢の中へと逃げようとする。小さな期待を託すからだろう。それだって、必死に生きようとすることの表れだと言える。それでもやはり、生きるなら、今をしっかり生きなくっちゃならないと思えていくことだろう。そこに意味がある、…のでは。

この話、どう落ち着くのかと、最終章へ。「私」には鬼瓦に似て見えた屋根屋さんは…。法隆寺にあった落書きが書き換えられていた。…夢の中。
「人の住んでいる屋根というものは、温かですけんね。温いとですよ。屋根に人肌のぬくもりがあります」と言っていた永瀬だから、人様の家の屋根の上でカタリ、カタリと瓦を葺いているのだろうか。
家は平安な世界のシンボル。この小さい箱が人間世界の無事平穏の象徴なのだ。それが崩れずにあることが、なんでもない当たり前のことなのにすごい奇蹟のように思えてきて、「私」が涙する描写があった。

不思議な体験をし、夢に遊んだ。読後、自分でひと味加えて整える、そんな余地があるのがいい。単行本が出てすでに4年。いつかいつかと思いながら、ようやく読み終えた。
コメント (4)
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