虫が鳴き、夜空に月が浮かぶと、それは恋の始まりの予感。
秋の七草が咲き乱れ、虫が集き、夜空に月が輝けば―、登場するのは光源氏と決まっていたとか。そして彼を待つ女君の設定。
今年も赤い実をつけたこの梶の木の葉にも、平安人は和歌を書いて笹の枝に吊るしたりしたという。彼らが好んだ初秋の風景のようだ。
ゆく夏を惜しむよりも秋への移り変わりを心待ちにする今。折しも今日は処処。暑さが止まる(「処」)の意。残暑はぶり返すだろうけれど。
風がやむと凪。夕凪、無風で蒸し暑いようだ。「色」なら何色なのだろう。西日を浴びたオレンジ色からやがて日が落ちていき…。
季節にも「色」がある。中国の五行説でいくと、秋は白。秋風は「色なき風」となるようだ。
吹きくれば身にもしみける秋風を
色なき物と思ひけるかな 紀 友則
秋風によって人情味や生活感まで脱色されてしまっては、まさに色も艶もない。
また、言葉には「色」があると読んだことがある。ならばせめて言葉をカラフルに紡げればいいのだが、それすら高のぞみ。
そういえば昔、私は名前を入れて「♪○○の高嶺に降る雪も~」なんて歌われたことがあった。高慢ちきだったかな?
白い雪…。白は「すべての光線を反射することによって見える色」とある。なににも混じらず、受けつけず高嶺の花か。まあ、所詮色にも艶にも縁遠いのかもしれないが。寂しい秋となりそうだ。
今夜の肌寒ささえ感じるこの涼しさは、さしずめ製氷菓子のソーダの色。
何だかわからぬ思考回路は、腰痛の後遺症としておこう。涼しいことがわかる。虫の音も聞こえる。マヒしているのは思考力だけかもしれない。
(写真:梶の木)