原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

不自由な心身を生きるということ〜スピリチュアリティの課題

2017-03-08 | ダンスセラピーについての考え方



先日のセッションのこと。

なんだかモヤモヤする感じが
参加した誰の中にも最後まで残ったようだった。
しかし、
そのモヤモヤこそ、表現されるべきものだったのだ。

そこを通過しないといけない、という場所。

モヤモヤは、誰かが処理してあげてはいけないし
求められてもその役割をとってはならないもの。

ダンスを使ってのWSというと発散とか解放とか自己表現とか、
口当たりのいいツールに思われがちなのであるが、
「どうにもならない自分」というものを体現する場でもあるのだ。

それはセラピーのみならず、
舞台のための稽古場で行われていることでもある。


踊り始めは恐れや抵抗感→
やがて自分の心身との親和性への驚きや心地よさ→
自分への(一時的な)全能感などの過程を経て→
ファンタジーに逃げ込むケースもあり→
葛藤の世界に入る。

葛藤してからが本番。

どの時期がどのくらいの時間なのかはそれぞれだが。
葛藤できるかどうかは本当に大切なポイント。

心理療法も同様だが、
「どうしたらいいのかわからない」ということには
すぐに答えは出ないことであり、
それを持ちこたえることでじわじわと変化していく。

そのじわじわの伴走者であるということ。
自分の仕事は。


ゆえに、
セッションはいつもどこに着地点を見いだすのかはわからない。
その時に集まる人々により変わる。
しかし当然のことながら、着地はしっかりとする。
その地点はその時それぞれで違うが。

なので、あれこれやって皆ハッピー、ということに
いつもなるわけではない。

(ハッピーという大団円に持っていくのは簡単なことだ。
現実から遊離させればいいのだから。
しかし、それは真の意味のセラピーではもはやない)

ともあれ、この仕事の役割としては、
まずは心身のコネクティングを意識してもらうこと
(本当はコネクトではなく一体なのだが)、
身体は無意識であり、
そのメッセージの方が
思考より先に来ていることに気づくこと。
自分だけではなかなか見えなかったものが、
グループの中での相互作用によりふっと見えてくることもある。

それに気づくことで
より統合的になるということを伝えていく。
伝えるタイミングを見計らうのは非常に重要。
時間をかけないといけない場合がある。

すべからく早い結果を求められるご時世だが
しかるべき時間をかけないと身体の中には入っていかない。
いつの時代も、だ。

自分に起きている現実や事実を受け取ることに
抵抗を示す人も少なくない。

「我がこと」として、
身体の中まで染みとおらないと
同じことの繰り返しである。
(人間の歴史のなんと愚かなことよ…)

身体を持って生まれて来た、
ということ自体が不自由なこととも言える。

苦しみや
どうにもならない自分自身の不甲斐なさや不自由さを
どう感じ、受け入れ
(人によっては不承不承ですね)
それを生きていくか、ということが
本来のスピリチュアリティの課題である、
と思うのだ。

まさに様々な体験するために
我々は生まれてきているのだと思うことがある。
その中にどういう学びを見つけるのか。
折り合いをつけていくのか。
自分の器を大きくしていけるのか。

そしてどんなに辛い状況でも
決して自分を見捨てずにいる、ということ。


そんなあれこれが「魂の宿題」なのだろう。
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