自分の中の奥底にある、認めていなかった何かは、
誰かや何かに光を当ててもらうことが必要なのだ。
そして光が当たった瞬間、
それはすっと上に上がって消えていくイメージ。
成仏って、おそらくこういうことなんじゃないかな。と思う。
貨幣は今は「対価」として捉えているけど、
「権威」から下されるものとしては捉えていない。
@body_wisdom 「貨幣」に代わる対価はもちろんある。
頭脳労働とか、肉体労働とか、エネルギー労働とか。
@wear_heels ハイヒールの対極がジョギングシューズというのも、また象徴的ですね。
だからいよいよ死ぬという前に twitter.com/seaofsound/sta…
(承前)
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ
胸がつまって涙が出そうになる
団地のアパートのひとつひとつの窓に
ふりそそぐ暖い日ざし
楽しくさえずりながら
飛び交うスズメの群
光る風
喜ぶ川面(かわも)
微笑みのようなそのさざなみ
(承前)
かなたの京浜工業地帯の
高い煙突から勢いよくたちのぼるけむり
電車の窓から見えるこれらすべては
生命あるもののごとくに
生きている
力にみち
生命にかがやいて見える
マジかよここまで御柱かよ…と思ったけど、湖池屋の創業者小池和夫氏は信州出身で、湖池屋の「湖」は諏訪湖に因んでいると知りました失礼しました。 pic.twitter.com/GYdIhfhKYI
【易占い】について。観るとは、詳しいことまでよく見るといことです。さらに、見えないことまで推察する場合は、これを観察と言います。つまり、ただ見ているだけでは観察とは言えないのです。見えないことを察することによって、それが観察となります。また、観察には必要なことがひとつあります。⇒
⇒それは、疑うことです。信ずるべきことを信じることは重要ですが、疑うべきことを疑うことも重要です。心の死角は、いつも「見たくない事実」「そうであってほしくないこと」に存在します。観察とは、「自分にとって不都合な真実を知ろうとすること」なのです。嫌なことにこそ心を巡らせましょう。
どうしてひとはFBには自我インフレを起こしたままの作文を
やすやすと書き連ねるのか…
そんなに他者に承認を求めたいのか…