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原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

近況など 2) 浮上してくるもの

2025-03-08 | 山里便り

さて前回からの続きを。

日常的にいる環境は職場であれ、生活であれ
長い目で見るとやはり影響が大きい。
それもあり自分は自然の環境を求めていたのだろう。

以前住んでいたマンションに引っ越したのは
がん治療をひとまず終えた後で
(投薬や手術後の影響はまだ残っていた)
心身が敏感になり、環境の影響を受けやすい時期だった。
隣は神社で木立があり、その向こうに建つ団地の眺めを遮ってくれ
(ただし冬は葉が落ちて丸見えになったけれども)
春は鳥のさえずりがにぎやかで
降り注ぐ陽射しを浴びつつ身体の底からほっとしていたことを思い出す。

しかし自室は生活の場と仕事場を兼ねていたので
ほっとする感じは年々薄れていった。
特に飼い猫が他界してからは。

長年主軸としてきたグループワークは
予測できない様々なエネルギーの交錯する場であり
ことに術後の身体には大きく響くことも体感したので
それを自然の中で抜くことが茅野諏訪を訪れる目的にもなって行った。

この30年弱、
目の前にいる誰かのために、という働きにかなりのエネルギーを使ってきた。
もちろん嫌ではなかったし自分で決めてやったことである。
そして昨年秋を境にグループワークから一旦離れてみて
「何の役にも立っていないで、社会とも関わりを持たずに
生きていていいのか?」という気持ちが浮上してきた。

以前勤務していたクリニックのDr.とも話したが
常に誰かのためにという『職業的無意識』が(医療職には)
本当に根深く入り込んでいて
(加えて自分が育った環境は診療所と自宅の境がドア一枚という
医者の家だったので、子供の頃から日常生活の中に医療が混在していた)
よっぽど意識しないと変な罪悪感にやられるな、と思った。

支援、援助をしている方たちが
自分のWSには結構いらしており
「人のエネルギーから距離をとるには自然の中が一番いい」と伝えていたが
現場から離れてから
上記の概念がこんなにも自分の中に染みついていたのか、
と改めて気づくのだった。

ここに引っ越してきたのは
そういう自分に区切りをつけるための
強制的な方法でもあり、
人ではなく自然のエネルギーを生活の中で大切にすること、
孤独というものを底から体験するためだったかもしれない。
(全く仕事を辞めたわけではありませんが)


加えて新自由主義の風潮が
社会の息苦しさにに拍車をかけている気がする。
かなりしんどいところまで追い込まれている人も多いのでは?
キャリアアップしないとだめ、という社会になってきているのが
一番問題なのだが。

「役に立たないといけない感」は
しょっちゅうではないが時々出てくるのでそれもただ観察している。

これは世の中で結構多くの人が感じているのではと思う。
そうではないと生きていてはいけない、というのは
案外色々な人の中にある。

みなさんいかがですか?




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近況など 1)

2025-03-05 | 山里便り
昨日はしんしんと雪が降り
今日は雨になった。
近くの山には霧が立ち込めていて
その後ろの八ヶ岳は雲の中に隠れている。
この集落にも霧が降りてきた。


毎朝、カーテンを開けて山を眺めるのが日課となった。
山の天気はその時間帯で刻々と変わる。
この辺りの空も同様で、雪が降りながら
同時に陽が射してくることも珍しくない。

11月、この土地に来た。
散歩しながら本当にここに住むのだろうかと不思議な気持ちになった。
今でもまだ不思議な感覚がある。

引越しの荷物を運び入れてまず最初に整えたのは台所だった。
デスク周りを整えて本棚を整えて
やっと自分のいる場所が確保できた感じがした。
それまでは家のどこにいてもどこにいたらいいのだろうか
という気持ちになることが多かったのだ。

住まいもまた「場」のひとつである。

年末、友人一家が滞在し彼らが食べたり飲んだりゴロゴロしたりして
帰ったあとに住まいの空間のエナジーが明らかに変わっていた。
なんといえばいいのだろうか、「落ち着いた」感じがあったのだ。
人がそこに残していく温かさ。残り香のようなもの。
家もまた人心地つくのだと感じた。

ここにはひとりでいることが多い。
だんだんと気温が下がり、夕暮れが早くなると焦りのような気持ちが出て
陽が落ちるとしばらく夜の闇に馴染むのに時間がかかった。
子どもの頃のような理由のない寂しさ。

外に出て、夜の空気を吸う。
山から冷気が降りてくる。
植物の匂い、土の匂い、水路を流れる水の音。
それをただ味わう。
晴れていれば星が綺麗に輝き、月も冴え冴えと冷たい光を放つ。
ある夜は、足を踏み入れた空き地からいきなりキジ?が飛び立っていった。

家の中にいる時と外にいる時で
どうしてこんなに夜の感じ方が違うのだろう。
外にいるとむしろ顔が勝手に笑っている。
そしてまた思うのだ。
自分はこんなところにいるのだ、と。

それまで30年近く続けてきたWSをしばらく休むと宣言し、
ここにずっと住むのだろうなあと思っていた家と地域から離れ
本や服や書類や雑然としたものを捨て、売り、ここに来た。
初めは片づけ作業に追われていたが
一段落すると孤独感が湧いてきた。

冬に入り、寒さが日に日に厳しくなる時期。

60をいくつも過ぎて
それまで持っていたものやいた場所を手放し
好きだったとはいえ不慣れな新しい環境に行くなんて
なんと無謀なことをしたのだ、これからどうするつもりなのか、
と別の自分がなんども問いかけてきた。

日々の食事を作り、自分と家の世話をし、食べ眠りまた起きる。
山と空を眺める。そこらを歩く。お茶を淹れる。時々友人に電話を入れる。
時折出てくる不安や孤独感はそのままほったらかしにする。

淡々とした日々だが
都市部の生活で端折ってきたことを意識してやることも少し増えた。

寂しさと孤独感もいつしか薄くなった。

身のうちに余白が増えた。

今までモノもヒトも含め
種々雑多なエネルギーの中にまみれていたのだな、と思う。


ー続くー



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