討論する、という体験は学生時代に十分やる必要がある。
会社組織のような利害のないところで。
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最近、家の中にて。光る素材が何もないところで、あるいはテレビの光の写り込みでもないところでやはりはっきりとチカチカとアイフォンくらいにっフラッシュする。本日もあったので、記録のためここに。
神ごとというのは、 神社や聖域で目に見えぬ存在と話をすることじゃない。 そこで学んだことを いかに日常生活に反影させてゆくかが 一番大切なことなのです。
亡き母の遺品から出てきた16ミリフィルムと8.5ミリ?だかの中途半端なもの。1940年代の満州(祖父が満鉄だったので新京にいた)時代のものらしい。まだ見ていないけれど、どういう光景が映っているのかかなり楽しみ…
そろそろ、母性原理よりもネイティブアメリカン的な
自然を身の内に入れた大きな父性原理が必要になってくると思うのだが。
いや、父性と母性の融合体かな。
男性であれ女性であれどちらでもなくもあれ、
「成熟」するということへの拒否感や嫌悪感を社会から感じる。
多分、今までのパラダイムから外れたところにしか
それは見いだせないのだろう。
凡そ利のあるところに、人々は蟻の如くに集まり、利を求めては山を崩し海を埋め、地の理を絶って顧ることがない。宇宙の秩序である天文に對して、地上の秩序を地理という。地理とは人に譬えればその血脈の如きものである。その理を失って、大地の生命が健康であるはずはない。
生活保護叩きのときもそう感じたけど、保育園にしろ、この国の人は、困ってる人を社会で助けるんでなく、困ってるのは自己責任だと言い放つのだよね。いつ自分が困る側になるのかもしれないのに。生活保護から保育園に…「自己責任」の範囲は着実に身近に迫るように広がってきてる感じがするでしょ。
「わたし」を作り出してきたこの眼差しを他者のもとに送り届けるようにして生きること。これからの時代はそれが一番大事です。
今日本は、これはあまり大っぴらには言えませんけれども、事実上占領下にあり、属国であります。日本が独立国であるなんて思うておるのは、事実の誤認も甚だしい。これは属国です。
幼少期の憧れに耽溺するのは、大人の世界に魅力がなく、またそれを能動的に更新することも不可能という諦念があるのだろう。現代魔術はその諦念の放棄を要求し、全能感と任務を実践者に突きつける。
「恐れ」がなくなると、
本当にひとは自由になるし
自分の気持ちに素直になる。
そして言葉ではないところで意思疎通できる。
人と共にあることの奇跡と幸せを感じられること。
@body_wisdom 「恐れ」やタブーと思い込んでいることが、
どれだけ多いことか。
そんなもの捨てると、本当に楽になるよな。
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