クロカメ日記

カメを中心に読んだ本のこと、見た映画のことや日々感じたことを書いていきます。

サイエンスカフェにて

2019-06-30 06:02:44 | 日記
 琉球に昔、リクガメが居た。然も大型種が。見てみたかったですね。

 絶滅の原因は色々あると思います。環境の変化など。しかし、近年の場合、絶滅の原因として、人間があげられると思います。なのに、絶滅危惧種の対策を人間がやってる。過去に自然への介入により、更に悪化させた事例もある様に思います。
 特定外来種の指定。多くの場合、既にどうにもこうにもならなくなってから。確かに人間の犯した罪は人間償うのは当然だと思います。何度も言ってきましたが、お風呂の風呂釜に穴が開き、お湯が漏れているとき、どうしますか?穴を塞ぐ。しかし、その穴が大きい時は?被害を最小限に防ぐため、まずは、お湯の出ている蛇口を閉めますよね?なぜこれをしないのか?昨晩の講演を聞いて、改めてそう思いました。
 
 
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不思議な人

2019-06-30 04:56:00 | カメ全般
じっとニホンイシガメと会話していました。すると、そこへ、34歳の男の子が来て僕に、おじさんは、カメとおしゃべりをしているの?って。ヤバイ、バレたか?って思ったけど、ニコッて顔で返した。すると、小さいカメさんは何処ですか?って。少し横の子亀の展示ブースに連れて行ってあげたら、ありがとうって笑顔で答えられた。
もしかしたら、見破られてしまったかも知れません。僕の特殊能力を。
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北小栗栖天満宮

2019-06-24 07:47:00 | 日記
近くにあり、山の中にある、赤い屋根の建物。前々から物凄く気になっていたので、漸く行ってみました。
赤い屋根の建物へ登る登り口がまず分からない。周りを田んぼで囲まれ、車がやっと1台通れる道を行って、漸く登り口までたどり着いたが、車を止めておく場所が無いので、一旦帰宅し、徒歩で登り口まで!
急な階段を登って何とか到着。
山頂は、高い木々に覆われており、景色は、これだけ。階段に付いている手摺りは、水道管を再利用しており、途中何度も手摺りが無くなるところがある。完全に無人で、いわれ等は不明。
実は、近所には、こんな小さな神社や石碑が沢山あります。機会があればまた、紹介します。
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命のはなし

2019-06-21 04:44:00 | カメ全般
昨日の朝、出勤時の写真です。いつもどおり歩いて、この橋を渡っていると、橋の上から3メートル位下の用水路を見て、そのまま通り過ぎようとしました。でも、何かを感じ、もう一度目を凝らして見てみると、居ました!おそらく、今年産まれたばかりのアカミミガメ。甲長は3センチ位でしょうか?この用水路の何処かで誕生したんだと思います。
外来種と言う事で、悪者のレッテルを貼られていますが、間違いなく懸命に生きている。この命に何の罪があるのでしょうか?いえ、この子達は、何も悪くない。
この用水路は、農業用の用水路で刻々と水深が変えられていく。また、用水路全体がコンクリートで囲まれている為、一度大雨が降ると数百匹単位のカメ達が溺れてその命を奪われる。こんな過酷な中で懸命に生きている姿を見ると、思わず頑張れと言いたくなります。
色んな方々が、色んな形で、自然を守ろう、取り戻そうとしています。僕自身は、今ある命は、全て尊重されるべきと考えます。一見どの活動も別の方向を向いている様に思いますが、僕は決してそうではないと思います。みんなカメが自然が大好きなんです。そういう意味では、みんな同じ方向を向いていると思います。それぞれの人が、得意な方法で行なっていけば、同じ所に辿り着くと思います。
帰りには、水量がかなり増えていました。また、この場所で、逞しい姿を見る事を楽しみにしています。
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金剛の塔 木下昌輝著

2019-06-15 05:59:24 | 日記
 幾多の大地震でも倒れなかった五重塔。なぜ倒れなかったのか?
 百済から、仏教の布教のためやってきた一向。この中には、今で言う宮大工も含まれていた。この地に塔を建てる為に。しかし、彼らに大陸にない、湿度と長雨と頻繁に起こる地震であった。特にお地震でも倒れない塔をこの地で作るにはどうすればいいのか?
現在なら、コンピューターによるシュミレーションするなど出来るのですが、聖徳太子の時代、どの様にして、この様な耐震構造を考え出したのか?おそらく計算式では計り知れない感覚がそこにはあるのだと思います。
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