天保八酉年

2016-08-07 14:28:00 | 旅行


   石垣

   


   人家の裏手の 石垣

   この上は  「おか」 と呼ばれる地域

   この 「岡の上の墓」 と呼ばれる 先祖の墓があります。


   で この 石垣  段々畑の 石垣 とは ちがうような・・・


   母に 尋ねたところ

   母が 爺さんから 聞いた話では

   この 石垣が 岸壁 だった  だから  頑丈に できてある。


   そう言われて 謎が解けました。





   


   その 横に 石段が ありますが

   その 石も大きく 頑丈に 作られています。

   段々畑の 石段は こんな大きな石は 使っていません。

   しかも まっすぐに 切ってます。


   この 石段の 上には、、、




   


   手水石

   ちょうずいし

   ありました。




   


   天保八酉年

   1837年

   徳川12代将軍  家慶(いえよし) の頃

   また 大塩平八郎の乱 の 年でもあります。




   


   五輪塔

   前にある  丸い石  まちがい

   とがってあるので  一番上の ですね。



   ここには 古い お堂があります。

   土地の人は  おだっさま  と 言います。


   お大師様  弘法大師 の ことですね。



   1837年 といえば 180年前です。

   祠 が あったのでしょうね。


   奉ったのは  お庄屋さん でしょうかね?


   地区では 聞かない 姓 です。