水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

吉野 千本桜⑥ ≪上千本・奥千本-吉野水分神社・閼伽井不動明王≫

2018-04-25 | ├ 奈良(ひとり旅)

 

吉野その⑤

 

 

 

 

 

 

花矢倉展望台から数分で、赤い鳥居が見えてきました。

 

 

吉野水分神社 (よしのみくまりじんじゃ) 式内社

 

 

葛城水分神社・都祁水分神社・宇太水分神社とともに、
大和国四所水分社の一つとして信仰されてきた古社です。

子守地区の民家が終わる所に鎮座しています。

 

 

花矢倉から200メートル弱なので、あっという間ですね。

 

 

 

一の鳥居と楼門(重文)

 

 

 

人が多いのを覚悟の上で、中へ入ります。

 

 

 

わ。やっぱり人いっぱい。

普段は人の少ない、というか人の居ない神社に詣でることが多いので、
なんだか妙なかんじ。

でも他の人から見れば、自分もギャラリーの一人なんで、
仕方がありません。はい。

 

 

 

人が途切れる瞬間を待ち、ようやく一枚。

 

 

楼門の奥には、中庭を囲むように社殿が配置されており、
右側に本殿、正面に弊殿、左側は拝殿および回廊。

社殿はいずれも重文で、桃山様式の美しい建物です。

 

 

本殿(重文)

 

 

本殿は三棟一棟。3殿を横につなげた1棟続きの形です。

中央(正殿)が春日造り、左右の2殿(左殿・右殿)は流造りとなっています。

 

 

 

神社の創建は不詳。

社に関する最古の記録は「続日本紀」で、
698年、芳野水分峰神に馬を奉り祈雨したとの記述が残っています。

806年頃に現地へ遷座しました。

 

 

本殿・正殿(中央)

主祭神:天之水分大神

 

 

左殿(向かって右)

配祀神:高皇産霊神、少名彦神、御子神

 

 

右殿(向かって左)

配祀神:天萬栲幡千幡比咩命、天津彦火瓊瓊杵命、玉依姫命

この右殿には、ご神体として1251年作の木造玉依姫命坐像(国宝)が安置されています。

そのお姿は高貴な女官像で、
眼には水晶が嵌め込まれている(玉眼)そうです。

 

 

 

水分とは「水配(みくまり)」の意味。

この“みくまり”が、“みこもり(御子守)”と訛って俗に子守明神とよばれ、
子宝・子授けの神として信仰されています。

 

 

豊臣秀吉もこの地を訪れ秀頼を授かったと言われており、
現在の社殿(拝殿、弊殿、本殿、楼門など)は、
1605年に秀頼によって再建されました。

 

 

 

拝殿(重文)

 

 

橘と下がり藤が、こちらの神紋なのかな?

 

 

 

こういうの、たまりません。

 

 

柱いっぱいの回廊とか。

あーもう素敵すぎる。

 

 

弊殿(重文)

 

 

小規模神社だとこの弊殿がない場合が多いですが、
弊殿とは、参詣者が幣帛を捧げるところ。

簡単にいえば神さんにお供えをする場所です。

大抵は、本殿と拝殿の中間にあります。

 

 

ついでに、
拝殿は神さんを拝むところで、
本殿はご神体(神さんが降りる依代)の安置されているところです。

 

 

なので、基本的に神さんは神社に常駐してらっしゃるわけじゃなく、
祭祀や御祈祷などでお呼びして、一時的に降りてきて頂くわけです。

(例外もあり)

 

 

こちらは弊殿の右端に置かれていた八角形の神輿。

手の届きそうな距離にサラっと置いてある感じですが、
1604年に製作された、豊臣秀頼寄進の神輿(重文)だそうです。

 

 

こちらは、それより200年ほど後に製作された、勝手神社の神輿。

どちらも見るからに古く、歴史を感じさせるもので、
本来ならガラスの向こうに保存されていてもおかしくないような、
貴重な品なのでした。

 

 

 

 

柴神社

 

 

 

弊殿正面にある桜が満開で、それはそれは綺麗でした。

花は何でも美しいですが、
やはり“
社寺と桜”というのは別格かなと思います。

 

 

桃山様式の美しい社殿に、
人の多さに負けない神気の強さ。

来てよかったと心から思いました。

落ち着いた時期にまた、再度訪れたいと思います。

 

 


(吉野水分神社 御朱印)

 

 

吉野水分神社に45分ほど滞在し、
外へ出たのが15:30。

帰りの電車は18時ちょい過ぎの出発で、
ここから駅までの距離は5キロほど・・。

私の足だと1時間くらいなんで、たぶん17時まえには駅に着いてしまう。

となると、あと片道30分ぐらい登れるかな。

 

 

ちょうどここから30分弱の所に金峯神社が鎮座しているので、
長居はできそうにないけど、行ってみることにしました。

吉野の終点、奥千本の金峯神社。

楽しみだなあ。

 

 

そう思いつつ歩き始めて10分ほど経った頃、
前方に、石段を登るお子さま発見。

石段の先に何かあるのかな??

 

 

近づいてみると、お不動さんだった。

わーい。お不動さん好きなのよね。

 

 

 

グーグルマップで見てみたら、
閼伽井不動明王と書いてありました。

 

 

閼伽(あか)は仏教におけるお供えの水のことで、
その水がある井戸を護るお不動さんが、閼伽井不動明王。

主に修験者を守護している仏様だそうです。

道から少し引っ込んだ目立たない場所だし、
目線よりかなり上に立っていらっしゃるせいか、
大きな像なのに、道行く人は誰も気づきません。

 

 

それにしても凛々しいお不動さんだわ。

 

 

いや、凛々しいというか、美しい。

とてもきれいなお姿です。

 

 

 

近づいてじーっと見つめていたら、
なぜか急に泣けてきました。

なんだ?

このお不動さんすごく優しい空気を纏ってて、
それが心にダイレクトに染みてくるからなのか・・。

 

 

こういった場所で涙が出るのは、
伊勢の橋姫さんとこと、新城の竹生神社ぐらいなんで、
自分的にはかなり珍しい。

 

 

一息ついて、写真を撮ることに。

神社等を撮影する際は、必ず神さんにひとことお断りしてから撮るので、
このときも「撮らせて下さいね」と心の中でお声掛けしました。

(普段、本殿や仏像などの御前まで直行&ご挨拶してから、
再び社頭へ引き返して撮り始めるという、結構面倒なことしてます。)

すると、「何故か。」 と、理由を問われた気がしたため、
「お不動さんが綺麗だったので」と即答。

しばし間が空いたのちOKが出た(気がする)ので、数枚撮らせていただきました。

 

憤怒の表情と威厳のあるお姿で火焔の中に立っていらっしゃるから、
たぶん、キレイと言われることはあまり無いのではなかろうか・・。

お許しが出るまでのちょっとした“間”は、
「え。なにそれどういう意味。」みたいな戸惑いと照れ
っぽい空気?が
何気に漂っていたかんじで。

戸惑わせてしまって申し訳ないけれど、
でも、ほんとにきれいだと思ったんですもの。

 

 

お不動さんは、
内外の障害やけがれを焼き尽し、災害悪毒を撃滅し、煩悩を断ち切り、
行者を守り諸願を満足させると言います。

寡黙だけど優しい空気を纏った閼伽井さんの御言葉に甘え、
ひとつだけお願いをしてみました。

まあ成就には時間を要するし、
下手したら数年かかっても無理かもなー
と思っていたのですが・・。

翌々日、いきなりの強引な急展開でコトが始まり、
そこから一気に加速して環境すべて整い、
ほんの数日で満願成就してしまった。

 

徐々に好転していって目標に近づいて・・とかじゃなく、
唐突で迅速で、有無を言わさぬ展開からのハッピーエンド。

とにかく、最短・高速・直球。
速い。速すぎる。(笑)
起承転結の「起」と「結」しか見えなかったよ。

何だかジェットコースターに乗ってる気分でしたけど、
閼伽井さん、本当にありがとうございました。

 

 

結局ここで長居してしまい、上に行く時間はなくなってしまったので、
ここで下山です。

金峯神社は、また次回ですね。

 

 

下りながら、牛頭天王社跡を一枚。

牛頭天王社は、高城山のつつじヶ城の鎮守として創建されましたが、
神仏分離にて廃絶されたそうです。

 

 

その⑥へつづく。

 

 

 

 


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