水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

五社宮 <愛知県名古屋市天白区八事天道>

2016-02-14 | ◆縁ある処(名古屋市)◆

 

市内つづき。

 

 

 

 

 

興正寺から500メートルほど南下した場所に鎮座する、
五社宮(ごしゃぐう)に到着しました。

 

 

 

 

八事の交差点から少し入ったところにありますが、
道路沿いなので騒がしいかな?と思いきや、境内は静かなものです。

 

 

八事にはむかし何度か来たことがあるけど、ここに神社があるなんて全然知らなかったなあ。

 

 

 

参道右手に社務所がありましたが、お留守だったので御朱印は断念。

こちらの宮司さんは、さきほどの須佐之男神社の宮司も兼ねているそうです。

 

 

手水舎

 

 

 

手水舎近くに損壊した石灯篭などが置かれていたので、寄ってみた。

 

 

 

先の大戦時の空襲により壊れてしまった社号標だそう。

神社をまわっていると、こういった歴史の証人に出会うことがよくあります。

 

 

 

拝殿

 

 

 

 

子取りさん。

 

 

玉取りさん。

 

 

足元にどんぐりが並んでた。

子供が置いてったのかなー?かわいい。

 

 

おなじ開放型の拝殿でも、こちらは舞台状にはなっていません。

殿上にあがることのない、そのまま直進できるタイプです。

 

 

そしてその先に配された本殿などを、拝殿の中から眺める構図となります。

あまり見掛けない造りで新鮮。(・∀・)

 

 

 

この五社宮は、日、月、星、神明、天王 の五社を祀っている神社で、

正面の大きい社が日宮社(御祭神:天照大御神)、
その左が月宮社(御祭神:月夜見尊)、
さらに左が星宮社(御祭神:五百箇磐石尊)となっています。

 

 

日神、月神、星神の三柱を祀っているというのも、
これまた珍しい気がします。

 

 

日宮社の右側に鎮座する二社は、
左から順に神明社(御祭神:豊受大神)、祇園社津島天王社)(御祭神:須佐之男命)です。

 

 

 

ちゃんと拝殿上部に詳しく書かれているので、すごーくわかりやすい。

 

 

そのわかりやすい配置図とは反対に、鎮座経緯はちょっと複雑になっています。

 

 

五社宮はもともと、
丹羽郡寄木村に「天道宮」(現:江南市寄木東郷中の式内社稲木神社)として鎮座していました。

天道宮は、一説によると古代氏族の稲木別が、祖先である大中津日子命を祀り、
創建したとも言われているようです。

 

 

1724年、“神仏習合”により「天道宮」は「天道山高照寺」となり、
神と仏を同時に祀るようになります。

そして1741年、尾張藩の命によって当地へと遷座しました。

(当地の地名である「八事天道(やごとてんどう)」の名は、
この天道山という山号から生じています。)

 

 

それから130年近くたった1868年。

今度は“神仏分離”により「天道山高照寺」から神社部分が分離・独立したのち、
五柱の御祭神はふたたび元の地に戻ります。

 

 

八事にはお寺部分(五社宮のすぐ南にある高照寺)が残るとともに、
五柱を祀る社も五社宮と称して存続し、現在に至っています。

 

 

要するに、

江南市から名古屋市へ五柱が遷座(神の座を移す)して、
のちに江南へまた遷座し直した。

しかし名古屋は空っぽになったわけじゃなく、そのまま五柱を祀っている。

 

つまり分祀ですね。

 

(断言するからには曖昧な情報は載せられないので、
念のため社務所にTelして確認しました(・ω・))

 

 

神道における分祀とは、

『神の分霊を、勧請(他の神社から移す)して祀っている神社』 という意味ですが、
元いた神社から神を切り離して、よそで祀るわけではありません。

元の神社には、そのまま神が存在し続け、
分祀の数だけその神が増えていく・・というかんじ。

元の神社も分祀も、どちらの神も同等(同一)だから、
どっちが本物でどっちが偽物とか、どっちがメインとか、
そういう事ではありません。

 

※ちなみに、靖国神社のお話では、
 “特定の御霊だけを靖国神社から分離して、よそで祀る。”という意味で
 分祀という言葉を使うことが多いようですが、これはそもそも間違いです。

 

 

末社

秋葉宮(御祭神:迦具土神)

 

 

 

その近くにあったご神木。

手前が「よりそいの木」で、ちょっとわかりにくいですが奥には「運気隆昌の木」があります。

 

 

 

この次にお邪魔する神社もそうですが、
切妻・妻入りの開放型拝殿であっても、その先の祭文殿や渡殿は無いので、
尾張造りではありません。

 

 

名古屋市内でも開放型ならある程度点在してるけど、
尾張造りとなると、やはり市内東部までは波及してないんだねー。

 

 

 

明るく開けた境内は優しい空気が満ちていて、
ここにいるだけで清められるというか、じわじわ元気回復するかんじ。

40分ほどの滞在中、何人かの参拝者がいらっしゃいましたが、
地域の方の崇敬の篤さが、この場所をいっそう清らかにしているような気がします。

 

 

想像以上に素敵な神社で、
癒しのひとときを頂戴することができました。

 

 

つづく・・。

 

 

 

 

 

 


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