12月22日(日)、天気が良かったので奈良ウォーキング教会の例会に久しぶりに参加しました
椿井城は戦国時代の武将嶋左近の詰城とされ、左近は俸禄4万石の石田三成に2万石で召抱えられたと
いう逸話があり、「三成に過ぎたるものが二つあり 嶋の左近に佐和山の城」と謳われました・・・・
コースは、近鉄平群駅→平群中央公民館→平等寺春日神社→宮山塚古墳→椿井春日神社→椿井城跡→
椿井井戸→平群神社→西宮古墳→平群中央公園→JR王寺駅の約12Km、4時間半の予定です
平群中央公民館で受付をすませ、10時にスタートです・・・・
竜田川沿いを歩き、約20分で平等寺春日神社に、本殿は春日造、極彩色の檜皮葺の社です
昔、大和の各所で行われた「なもで踊り」を描いた絵馬が奉納されています。説明板によると「なもで」とは、
南無御礼が転じたもので、雨乞等の祈願満願の日に神前に奉納した踊りのことだそうです・・・・
そこから400mほどで、椿井春日神社に
神社の由来は・・・・
椿井春日神社の傍に宮山塚古墳があります。入り口は鉄格子で中は覗けませんでした・・・
宮山塚古墳の説明板
椿井春日神社の脇道が椿井城への登り口です・・・・
椿井城は戦国時代末期の山城で、平群を押さえる要衝です
城跡には、幟が立てられ、戦国時代を思わせています・・・・・
北の方角には生駒山が遠望できます
城跡から降りる途中の、小さな宮裏山古墳をとおり
城跡を下りた所に椿井井戸があります。聖徳太子と平群神手将軍が物部守屋征伐の際に 椿の伐を突立て
勝利を祈願すると、一夜にして伐が芽吹き 冷泉が湧き出したという神話?で知られる井戸です・・・・
振り返ると山の上に椿井城が・・・・
平群神社を通りすぎ
西宮古墳に
古墳の中には石棺が、蓋はありませんが・・・・・
西宮古墳の説明板
平群中央公園で昼食をとり、そこからぶどう畑と住宅街を通ってゴールの王子駅に・・・・
2時過ぎにJR王寺駅に到着、たか婆は疲れたようでしたが、くに爺は疲れていません・・・・・
椿井城は戦国時代の武将嶋左近の詰城とされ、左近は俸禄4万石の石田三成に2万石で召抱えられたと
いう逸話があり、「三成に過ぎたるものが二つあり 嶋の左近に佐和山の城」と謳われました・・・・
コースは、近鉄平群駅→平群中央公民館→平等寺春日神社→宮山塚古墳→椿井春日神社→椿井城跡→
椿井井戸→平群神社→西宮古墳→平群中央公園→JR王寺駅の約12Km、4時間半の予定です
平群中央公民館で受付をすませ、10時にスタートです・・・・
竜田川沿いを歩き、約20分で平等寺春日神社に、本殿は春日造、極彩色の檜皮葺の社です
昔、大和の各所で行われた「なもで踊り」を描いた絵馬が奉納されています。説明板によると「なもで」とは、
南無御礼が転じたもので、雨乞等の祈願満願の日に神前に奉納した踊りのことだそうです・・・・
そこから400mほどで、椿井春日神社に
神社の由来は・・・・
椿井春日神社の傍に宮山塚古墳があります。入り口は鉄格子で中は覗けませんでした・・・
宮山塚古墳の説明板
椿井春日神社の脇道が椿井城への登り口です・・・・
椿井城は戦国時代末期の山城で、平群を押さえる要衝です
城跡には、幟が立てられ、戦国時代を思わせています・・・・・
北の方角には生駒山が遠望できます
城跡から降りる途中の、小さな宮裏山古墳をとおり
城跡を下りた所に椿井井戸があります。聖徳太子と平群神手将軍が物部守屋征伐の際に 椿の伐を突立て
勝利を祈願すると、一夜にして伐が芽吹き 冷泉が湧き出したという神話?で知られる井戸です・・・・
振り返ると山の上に椿井城が・・・・
平群神社を通りすぎ
西宮古墳に
古墳の中には石棺が、蓋はありませんが・・・・・
西宮古墳の説明板
平群中央公園で昼食をとり、そこからぶどう畑と住宅街を通ってゴールの王子駅に・・・・
2時過ぎにJR王寺駅に到着、たか婆は疲れたようでしたが、くに爺は疲れていません・・・・・
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