goo blog サービス終了のお知らせ 

日向ぼっこ残日録

移り気そのままの「残日録」

政治は誰のもの?

2009年02月14日 09時37分33秒 | 気まま日記
小泉某が、麻生首相を「あきれている」と批判した。

自分の足跡を批判(見直し)発言に、いらいらしたのかな。
君の郵政民営化や規制緩和、労働条件の緩和は、次々に世の中に不安を撒き散らしたのを忘れたらしい。下辺の我々にとって悪夢のような、君の治世だった。
弱者が切り捨てられ、補助金がカットされた。郵便局の施設が1000円や10000円で売られ、6000万円もの価格で転売された・・・・。
我々は、先の選挙で間違った選択をしたのを忘れて、君の言葉を「ありがたがって」聞いている。
民主党も、君の発言を歓迎している節がある。情けない政党だ。

誰か、オバマ大統領のように、政治は国民のためにあると声高に叫んでくれ!

この閉塞感の満ち溢れた「いやな世の中」を変えてやると若者が名乗り出ないかなあ!

「チェ・ゲバラ」が再び世に認められる時代は、どうなのかとも思うが、息詰まるような沈滞感を払いのけてくれる若者・・・君が救世主だ!

都会は寂しいくないかい

2009年02月13日 17時17分56秒 | 残日録
都会は寂しくないかい?

田舎は、寂しくないよ!

春になって、椿も蕾を膨らませ、百合も芽を出し、チュリップも芽をだした。
野には土筆も顔を出すだろう。
もうすぐ、さくらの季節が行くと「蕨」が元気な子供のように拳骨を振り上げることでしょう。
季節が移っていくことは、ありがたいことです。

「東京砂漠」と言う言葉もあるが、都会には春があるのだろうか?せせこましい人間関係に疲れたら、田舎が慰めてくれるよ~!


日向ぼっこならず

2009年02月11日 16時39分15秒 | 残日録
生きていくことは「係わり合い」なんですが・・・。

次々に言いつけられる「用事係り」は、「縁側で日向ぼっこ」を目指していた身には、辛いものもある。

今日は、中学校のクラス会の名簿を作った。46名の旧友(同学年は200名)と巣立った学校は、優に50年を超えて編成替えでなくなった。(校名がないし、学校だった場所は、中古車センター)その46名の内3名が逝き、3名の移転先が不明だ。それでも20名以上の参加があるようなので、うれしいものがある。そして、3年間持ち上がりの先生は、健在でうれしい。求心力となって頂いている。
往復ハガキの作成の準備も整った。日にちの確認だけが残っている。(5月末を予定)

そうそう高校の同級生は、300人もいただろうか。確認はがきによると、連絡先不明が47名もいる。同級会には、ハイキングやバス旅行など楽しいものが多いが、近頃病気の所為か、とんと気力、体力がなくなった。

大学の同級生数名と「花見の宴」を企画しているが、都合が(日にち)合致できるだろうか。花見と言うと日にちが限られているからなあ。大いに飲んで徹夜できる体力のある人と弱いkunio_nikkiでは、折り合える時間がない。嫌いになりたくない友人なので、12時には休ませて欲しいものだが・・・。前2回は、徹夜となって、10日程度衰えて、家人に「もう止めておけ」なんて言われた。しかし、過ぎれば痛みを忘れるから、人間とは不思議な生き物だ。

年忌

2009年02月08日 18時24分11秒 | 残日録
親父(101歳)の1周忌(年忌)が今日終わった。来年は、3回忌となる。

以後の「年忌」については、宗派によって差があるかも知れない。(1周忌でも、13ヶ月や命日直前の休日など差がある。)

kunio_nikkiは、浄土真宗大谷派(東本願寺派)なので「一向宗」でもある。

【「一向」とは、ひたすらとか一筋ということで、一つに専念することを意味している。
これは『仏説無量寿経』にある「一向専念無量寿仏」から、阿弥陀仏の名号を称えることと解釈され、そこから「一向宗」が他の宗派より親鸞を開祖とする浄土真宗を指す呼称となった】

「一向構わず」とか、どうでもいいというような宗教と解されているが、そうではない。種々難しい約束事だってある。しかし、骨収め(納骨)については、確たる約束事(何時おさめるか、何処へなど)は、ないようだ。
そこで、年忌にあわせて、納骨を「おじゅっさん」(お住持(じゅうじ)さん)にお願いした。○家先祖代々の墓に納骨した。

元々墓は、死者の霊を恐れることから、その蘇りを収めるために、土葬の上に大きな石を乗せたのが基本のようだ。(化けて出ないでと)
おん霊の世界が平安時代の「陰陽道」の衰退とともに終わったときに、庶民の墓石も立派になって先祖を敬うという形式に収束したようだ。

毎月お参りできる(当地方では、一番近い仏(死者)の命日にお参りするか、1日にお参りする習慣がある。もちろん、春秋のお彼岸やお盆は別。)近場の方が仏(死者)に対し接せられるとの考えだろう。

かくして、一大行事が一つ終わった。



小説Vol.5

2009年02月06日 09時08分20秒 | 小説
午後の海は、雨があがったあと、からっと晴れ上がったので、小さな水溜りは温くなっていた。素足の感触は子供の頃の水遊びを思い出させて、長い間あじわっていない楽しさであった。
 「こっち、こっち」
 「呼ばなくても、見えてるよ。子供じゃないんだから」
 その小さな水溜りに向かって野球の滑り込みのようにスライディングした。秀太は、このことにひどく狼狽した。なんということだ。自分でも捕らえられないような魅入られた気分は・・・。鬱と躁が混濁するような、悪魔の仕業のように理解した。
 そうすることで、自分の中の矛盾を克服しようとする心は、まだ、病気の領域に踏み込んでいないと言い聞かせた。
 しかし、ずぶ濡れになった衣服は、心の問題でないので、言い訳はしなかった。
 「なんだよ~」剛志は、一言で片付けてくれたのは救いだった。
 「まあ、まあ。大変。着替えも持ってないのに」美穂の言葉が、救いにはならなかったが、追い討ちとなる、慰めの言葉の追加がなかったのがうれしかった。
 「車の中にタオルがあるから、服を脱いで乾かしてこい」と剛志がキーをポイと投げてくれた。一瞬に躁鬱があったことを理解した。
 パンツ一つになって、脱いだ衣服を思いっきり絞って、松ノ木に引っ掛けた。春の強烈な日差しは、通り過ぎる風と一緒になって、衣服も秀太をも癒してくれるようだ。
 肩からタオルをかけて、寝転んだが裸のあちこちを刺激する枯れ松葉が、考える余裕を与えないほど痛いものであった。

Heaven's Gate

2009年02月05日 16時13分26秒 | 残日録
「天国への門」は、如何に開かれているのだろうか。

近頃体調不良につき、いやなことを考える。

愛犬も弱ってきている。散歩中に足で体を支えられずに、ひっくり返ることもある。哀れと言えども、摂理である。衰えはだれにも平等に訪れる。

天国への門は、一人でしか通れない。心中事件だって、片方の思いほど片方が思っていない。よって、同時には門を開けてもらえないのだ。
愛し合って、慕いあって、・・・あらゆる言葉で表現しても尽きない間柄であっても、(友情も、夫婦愛も、任侠の愛も)天国の門は1人用だ。

男性美に溢れていた(一生不犯)武田信玄も、盾の会の三島由紀夫は結婚していたが、割腹自殺で介錯を受けたほど男性美に溢れていた。

それでも、一人で天国の門を潜って行った筈だ。
どんな形で天国への門を通るのが幸せなんでしょうか。なんの理由もなく、死に魅入られる瞬間があるのだろうか。

姫路城へ

2009年02月02日 20時14分20秒 | 気まま日記
姫路城を撮りに行った。

ホームページにて、「差し上げます」の壁紙カレンダー(トップの背景)の写真を撮りに行った。1月は、大手門を入って南から正面画像だったし、2月は、東から、斎木門からの画像だったので、3月の準備は、北側からの画像をと思ってシロトピア公園(歴史博物館付近)のものを撮りたかった。この画像は、冬には、日が当たらないし、太陽の位置が低いので、白い姫路城は望めない。逆光の中に霞む感じでもいいかなと思っていたが・・・。少し無理があった。暗いイメージとなって、壁紙にはお勧めできないものであった。
動物園に入場して、南東からのショットにした。この場所からの写真は、春から夏の「さくら」や「新緑」がベストなんですが、今年には平成の大修理が(大屋根で覆われる)あるので、先取りした。最も美しい姫路城だという人もいる。
4月は、西からのショットにするから、男山から写す心算です。5月は、4月の写真となるので、堀の堤上からの桜と天守閣となるでしょう。

何時まで行けるか分からないので、今日は、数十枚ものストックができた。しかし、冬は寂しい。春は、人物も多く写り賑やかでうれしい。(前月の20日までにカレンダーにするので、季節が少しずれるのは、許して下さい)「姫路城のさくら」に老いたる学友が来る予定なので、5月には、遠景で写るかも知れない。「ウォーリーを探せ」状態なら許してくれるでしょう。

小説Vol.4

2009年02月01日 13時12分29秒 | 小説
 言い訳のように「もう少し二人で海に入ってこいよ。俺は久しぶりの外出で疲れたから、ここで横になっているよ」との言葉がでた。
「それから、たばこを置いて行ってくれよ」
「なにを言っているのよ、秀太くん。もう一時間程だから一緒にいましょう。何をするにも体力が必要よ。がんばってね」
「母親が子供に諭すような言いかたはやめてくれよ」
 生き甲斐とか体力とか言ってくれるのは、有難い気も微かに起こったが、気分が鬱になっているので、「余計なお節介だ」が身体中の神経を駆け巡った。
 剛志は、神経に触るようなことは、一言も言ったことはなかったが、これでは、妹が二人になったか、母親が甦ったようなものだ。
 それでも、秀太を立ち上がる気にさせたのは、美穂が手を差し伸べたからである。
 その手を払いのける勇気も気力も準備出来ていなかったから。
 美穂の手は小さくて柔らかなものであったが、どうした訳か力強さを持っていた。秀太の大きな手に無いものであったが、それは微かに伝わった。手が離れたあとでも、蜘蛛の糸の危うさのような形で感触が残った。