くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景234 第37景 墨田河橋場の渡かわら竈 今戸神社と山谷掘のアジサイ

2015年06月06日 00時15分30秒 | 名所江戸百景
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回も時間が少なかったので写真が少ないですが、台東区の今戸神社(いまどじんじゃ)と山谷掘(さんやぼり)のアジサイ(紫陽花)の写真です。
 「名所江戸百景044~045・・・・」で谷中(やなか)・日暮里(にっぽり)のアジサイを撮影した帰りに、下見に撮影に行った時の写真です。
 下の写真は今戸神社で撮影した写真ですが、アジサイには少し早かったようですね。

 今戸神社の独特の円型の招き猫が描かれた絵馬にアジサイの組み合わせでなかなか良いのですが、「くまドン版」の名所江戸百景では、アジサイの景は日暮里・谷中に決めていましたので、百景の選択対象にはなりませんでした。

 江戸時代後期の天保年間に刊行された江戸名所図会(えどめいしょずえ)では、「今戸八幡宮(いまどまちまんぐう)」として紹介されています。
 「今戸橋(いまどばし)より一丁(=一町、長さの単位、約109m)ばかり北の方、道より左にあり。祭神、山城国(やましろのくに)石清水(いわしみず)に同じ。別当(べっとう、神社を管理する寺)は天台宗にして、松林院(しょうりんいん)と号す。祭礼は毎年八月十五日にして、放生会(ほうじょうえ)を修行せり。」
 と記されています。続いて、社記の説明が続き、
 平安時代の康平年間に源頼義(みなもと の よりよし)と義家(よしいえ)親子が、奥州討伐(前九年の役)平定の後に、京都の石清水八幡宮を、鎌倉由比郷(かまくらゆいのさと)、および、この今戸に地に勧進し、祈願したのが始まりであると伝えられています。
 さらに、その後に永保年間に源義家が、再び、奥州討伐(後三年の役)に向かう時も、鎌倉の鶴岡(つるがおか)と今戸神社に戦勝祈願をしたと伝えられています。
 そのような経緯があり、鎌倉幕府を開いた、子孫の源頼朝(みなもとのよりとも)も、奥州・藤原氏(ふじわらし)の追討の進発の際には、勝利を祈願したそうです・・・

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第37景 墨田河橋場の渡かわら竈」(春景)です。


 下の写真は山谷掘で撮影した写真ですが、こちらの方はアジサイが奇麗な青色に咲いていました。


 江戸名所図会(えどめいしょずえ)の山谷掘りの絵には、
 「山谷掘 俗に掘とばかりもいへり。 今戸橋 慶養寺 待乳(まつち)しづんで、梢のりこむ今戸橋 土手の粗傘、片身がはりの夕時雨 君をおもへば、あはぬむかしの細布  右 英一蝶(はなぶさ いっちょう)戯作。」と書かれています。

 下の絵は、広重の名所江戸百景「第34景 待乳山山谷堀夜景」(春景)です。

 対岸の墨田区側から描いた絵ですが、絵の右奥に見える橋のが今戸橋、ここが絵の手前を左右に流れる隅田川(すみだがわ、江戸時代の荒川)と山谷掘の合流点です。今戸橋の両岸には船宿や茶屋が多くあり、灯り(あかり)が見えます。真ん中奥のこんもりとした森が待乳山聖天(まつちやましょうでん)になります。


(1)今戸神社と山谷掘の話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景151 第37景 墨田河橋場の渡かわら竈 今戸焼の招き猫とサザンカ」
 「名所江戸百景173 第100景 よし原日本堤 山谷掘桜景」

(2)谷中・日暮里のアジサイの話は、以下のブログです。
 「名所江戸百景044 第14景 日暮里寺院の林泉 谷中のアジサイ寺」
 「名所江戸百景045 第15景 日暮里諏訪の台 日暮里のアジサイ」


 今回は、これで終了とさせていただきます。
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