2009年8月7日 福岡 2日目 博多の地名
博多と福岡の地名の由来をフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみると、現在の博多湾辺りを史料『続日本紀』(797年)では「博多大津(博多津)」と記されているとのことです。福岡の名称は関が原の功で黒田家が博多湾辺りを封じられたので、黒田家の故地備前福岡にちなみ築城した城を福岡城と命名したことに始まるようです。
明治に入り1889年の「市制及び町村制」の公布により、福岡市となり、博多は九州鉄道の博多駅にその名を残したとのことです。
ちょっと一休み
新幹線の終点が博多駅ということを納得
備前福岡が源だったのですね、、、このことはちょっと気になっていたことなのですっきりしました
2日目は大宰府政庁の跡と水城跡・大野城跡を訪問しようと、ホテルから西鉄大牟田線福岡(天神)まで歩きました。
歩くと土地の様子がわかっていいですね。
空の黒丸はレンズの汚れです

古くは博多湾を「那津(なのつ)」とも呼ばれていた名残の「那の口」でしょうね。
那珂川
「後漢書」の奴国(なこく)があったのも博多湾辺りですので、この辺りの地名はナという音が古いでしょうね。
街路樹の植え込みのお花はカンナです。
コッコーの子供のころは東京でもカンナが見られましたが、最近はみないですね。
突き当たりのビルのグリーンカーテンに感激
手入れが必要なのにビル街の街路に朝顔です
トリミングします。
9時28分で29度あります。暑くなりそうです
天神には三菱東京UFJ銀行も三越も丸善もありました。
観光客は太宰府天満宮を訪問するのが通常ですので大宰府跡は掲示がほとんどないので、出発前に調べた西鉄大牟田線都府楼前まで切符を買いました。

西鉄大牟田線福岡(天神)駅
博多と福岡の地名の由来をフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみると、現在の博多湾辺りを史料『続日本紀』(797年)では「博多大津(博多津)」と記されているとのことです。福岡の名称は関が原の功で黒田家が博多湾辺りを封じられたので、黒田家の故地備前福岡にちなみ築城した城を福岡城と命名したことに始まるようです。
明治に入り1889年の「市制及び町村制」の公布により、福岡市となり、博多は九州鉄道の博多駅にその名を残したとのことです。
ちょっと一休み

新幹線の終点が博多駅ということを納得

備前福岡が源だったのですね、、、このことはちょっと気になっていたことなのですっきりしました

2日目は大宰府政庁の跡と水城跡・大野城跡を訪問しようと、ホテルから西鉄大牟田線福岡(天神)まで歩きました。
歩くと土地の様子がわかっていいですね。
空の黒丸はレンズの汚れです


古くは博多湾を「那津(なのつ)」とも呼ばれていた名残の「那の口」でしょうね。

那珂川

「後漢書」の奴国(なこく)があったのも博多湾辺りですので、この辺りの地名はナという音が古いでしょうね。
街路樹の植え込みのお花はカンナです。

コッコーの子供のころは東京でもカンナが見られましたが、最近はみないですね。
突き当たりのビルのグリーンカーテンに感激



トリミングします。

9時28分で29度あります。暑くなりそうです


観光客は太宰府天満宮を訪問するのが通常ですので大宰府跡は掲示がほとんどないので、出発前に調べた西鉄大牟田線都府楼前まで切符を買いました。

西鉄大牟田線福岡(天神)駅

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