goo blog サービス終了のお知らせ 

K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

いらしてくださってありがとうございます。
晩ご飯に作った料理・道端に咲いているお花の写真などのブログです。

2012奈良2泊3日 佐保路の続き

2012-04-09 21:26:43 | 2012奈良2泊3日
2012年4月9日(月)晴




今日の陽気は春本番初夏を思わせました




2012奈良2泊3日佐保路の続き

海龍王寺から東の方面へ900Mの所に不退寺があります。
私ども3人は奈良には何回もきていますが、不退寺は行ったことがありません。海龍王寺を出ると後方にバスが見えましたが、「歩いて行きましょ」の声に、軽々とではありませんでしたが、大した雨だではなかったので歩き始めました。



不退寺
私は境内に入ると「ここ来たことがあるわ」「そんなわけないよ」




実はこれを書いている今でも??です。この境内での写真が残っているような気がするので、時間がある時に探してみることにします。


このお寺の由来
785年に桓武天皇は奈良の寺院勢力と政治を切り離したかったので、長岡京に遷都しました。しかし、都の造営長官の藤原種継が暗殺されたり日照りの飢饉や疫病など悪いことばかり起こるので794年に桓武天皇は平安京に遷都しました。藤原種継暗殺に桓武天皇の弟・早良親王が加担しているということで、桓武天皇は親王を配流しますが、早良親王は無罪をうったえハンガーストライキで死んでしまいます。早良親王の崇りか桓武天皇の皇后や皇太子の発病など、平安時代はおどろおどろした幕開けです。806年に桓武天皇が亡くなるとその皇太子が即位します(平城天皇)が、病のため弟(嵯峨天皇)に譲位して、愛する奈良へひっこんでしまいます。その時、お住まいになったのがここ不退寺です。当時は萱葺屋根だったので萱御所とよんだそうです。平城天皇の孫の在原業平がここを不退転法輪寺としました。そこで業平寺という別称があります。
※平城天皇は奈良にひっこんだのち健康を取り戻しましたが薬子の乱に巻き込まれ敗者として僧侶となります。

ここの本尊はかわいらしくリボンをつけ全身胡粉地に極彩色の花紋装飾がほどこされています。業平自作とか。

この寺で買った絵葉書を

本尊聖観音像 1木作り  平安中期と思われる。

この寺の近くは小さな古墳がたくさんあるようです。境内に1つ石棺がありました。



拝観を終えると12時半だったので、タクシーのお迎えを頼んで国立奈良博物館へと。

国立奈良博物館


奈良博の地下でランチしました。
広々とした地下フロアはフローリングでとっても休まる所でした。さすが、私の友人は奈良をよく知ってます。

このあと私どもは「春のあらし」に巻き込まれ、大変でした。明日に続く