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K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

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晩ご飯に作った料理・道端に咲いているお花の写真などのブログです。

向島から浅草へ その2

2008-07-21 21:28:13 | 東京の名所
2008年7月21日(月)昼、曇  蒸し暑い

梅干の天日干しをスタートしようと思いましたが、照らないのでやめにしました。
天日干しの日は在宅したいので、この週末まで延期します。



さて、向島から浅草の続きです。

圓通寺の通りを西に進むと右手に三囲神社があります。
東京下町散歩の地図に黄緑色で歩いた順路を書き込みました。




三囲神社は隅田川七福神めぐりで有名な神社です。

恵比寿神と大国神を祀っています。



三囲神社は宝井其角の句碑があります。

『宝井其角全集』五元集から引用
牛島三遶の神社にて
雨乞いするものにかわりて
夕立や田を見めくりの神ならは
翌日雨ふる

『五元集の研究』今泉準一著(桜楓社)から引用
隅田川東岸現在も同じ地名が残っている旧本所区北一帯を牛島とよび、ここに三遶(三囲ともかく)稲荷神社がある。ここで雨乞いするものに代わってこの句を詠んだという前書。およびその翌日雨が降ったという後書のある句であるが、句意は「夕立や」を馬琴の説のように夕立てやと読むか、あるいは普通の読みに従ってゆうだちやと読むかで、すこし意に相違が生じるかと思うが、いずれにせよ、三囲稲神社にむかって、稲荷の神は田をみめぐってこれを育て守る神なのであるから、もし本当にそのような神ならば、夕立せよ、夕立ちしてくれという意で、同時に社名三囲(みめぐり)にかけて神に向かって歌った句であろう。なお、すでに諸家によって指摘されているように、「ゆたか」の折句になっている。当時なおあった雨乞いの習俗に従って一句を詠んだ句であるが、この句を詠んだ翌日雨が降ったので大変評判になってしまった句である。・・・(以下略)引用終わる。



其角が雨乞いの者に代わって『夕立や田を見めくりの神ならは』と詠んだ翌日に雨が降ったというはなしは、現代人にとっては非科学的なことではありますが、当時の人々にとっては其角のカリスマ性を感じたことと思います。そのようなことが元になって、この神社に句を作る人が集まったのかしらと思うほどに、何本も句碑が建てられていました。
もう一つ其角の句碑を発見しました。

山吹も柳の糸のはらミかな

どのような意味でしょうか 今泉先生の『五元集の研究』を探してみます。あとで書きます


向島から浅草へ

2008-07-21 07:22:36 | 東京の名所
2008年7月21日(月)朝、曇
梅干の天日干しをと意気込んでいましたが曇りなのでちょっと待った
連日、真夏日でパソコンの調子が悪いので掲載が遅れ気味ですので過去日記となります。

土曜日(19日)向島3丁目の圓通寺さんにお届けものがあったので夫のお供で行ってきました。ここ数日忙しく、お寺の位置を詳しく確認しておかなかったので、東京メトロ半蔵門線の押上駅で降り、掲示に従って歩いていたのですが、はやくも地下鉄の出口で迷ってしまい、向島側には出られませんでした。しかも、押上にも円通寺があり、迷いに迷ってやっと向島3丁目にたどり着きました。ココまで来れば番地で探して・・・ようやく、お寺らしいユニークな建物を発見しました。その建物が目的地の圓通寺さんだったのです。
世界の文化遺産をコンパクトにまとめ上げた設計の建物だということを圓通寺さんの方から伺いました。

絵地図師高橋美江さんの東京下町散歩から

屋上にストゥーパ(釈迦の墓)
エンタシスの柱(ギリシャ)
建物中央の丸の部分の周囲のデザインはインドの石窟チャイチャ(僧が居住し、修行の場)の入り口の飾り
中央の階段の上の部分は大きな空間にご本尊を配置した本堂
階段の下、半地下に墓地。
檀家の墓石が並んでいますので、ヨーロッパの教会の地下墓地の感じ。
墓石の形も奇抜ではありませんが個性的なデザインでした。
地下墓地の天井には画家が描いた観音様、側面の壁にはすの花。





ハワイに開教師として派遣され、ハワイの大学で教鞭をとっていらっしゃるお寺のS先生の日系ハワイ人社会のお話を楽しくうかがいました。さらに、S先生のお父様、前住職さまのご本も頂きました。お父様はご健在でご挨拶も出来ました。



中国仏教における戒律の研究 
佐藤達玄著 木耳社
図説禅のすべてー生きている禅―   
鈴木大拙監修 篠原壽雄 佐藤達玄共著 木耳社
絵地図師高橋美江さんの東京下町散歩 新宿書房

※開教師という言葉をはじめて聞きました。キリスト教では宣教師、仏教では開教師と言うそうです。


PCの調子がいいときに続けます。