週刊朝日「山藤章二の似顔絵塾」に似顔絵が掲載されました。
掲載されたのは、サルバドール・ダリの似顔絵。
右側に載せて頂いたのは、初めてです。
めちゃくちゃ嬉しいです!!
それは右側というのもありますが、「フルCG」の作品という点です。
自分でも好きな作品が評価されるのは、嬉しいことです。
以前、「独善的にならず、品性のある似顔絵」ということを話しました。
それについて、ひとつの見方ができました。
「品性のシャドウが独善なのではないか。」
ということです。
また、「『品性のある人間』でなくても、いいのではないか?」
とも思えるようになりました。
クリエーターは、「作品」で評価されるべきです。
品性のない私でも、「品性のある似顔絵」は描けるような気がします。
そして、「下品」というのは、自分の似顔絵の思想や信念がなく「こびる」ことだと思います。
自分の信念を貫くことが、「絵の品性」なのではないでしょうか。
そこで逆に陥りやすいのが「独善」です。
「私の似顔絵を選ばない山藤先生は、おかしい。」
こういう考え方が「独善」なのだと思います。
「こびることなく、自分の信念をつらぬき、かつ自己完結しないで、発表や投稿を続けること。」
それが「独善的でない品性」なのだと思います。
ですので、似顔絵の追求や投稿は続けていこうと考えています。
掲載されたのは、サルバドール・ダリの似顔絵。
右側に載せて頂いたのは、初めてです。
めちゃくちゃ嬉しいです!!
それは右側というのもありますが、「フルCG」の作品という点です。
自分でも好きな作品が評価されるのは、嬉しいことです。
以前、「独善的にならず、品性のある似顔絵」ということを話しました。
それについて、ひとつの見方ができました。
「品性のシャドウが独善なのではないか。」
ということです。
また、「『品性のある人間』でなくても、いいのではないか?」
とも思えるようになりました。
クリエーターは、「作品」で評価されるべきです。
品性のない私でも、「品性のある似顔絵」は描けるような気がします。
そして、「下品」というのは、自分の似顔絵の思想や信念がなく「こびる」ことだと思います。
自分の信念を貫くことが、「絵の品性」なのではないでしょうか。
そこで逆に陥りやすいのが「独善」です。
「私の似顔絵を選ばない山藤先生は、おかしい。」
こういう考え方が「独善」なのだと思います。
「こびることなく、自分の信念をつらぬき、かつ自己完結しないで、発表や投稿を続けること。」
それが「独善的でない品性」なのだと思います。
ですので、似顔絵の追求や投稿は続けていこうと考えています。