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清水寺

2005年04月07日 | 京都
清水坂を真っ直ぐ上がって清水寺にやってきました。いつものように人は多いですが、桜はまだまだです。



清水寺の桜はまだこんな状態です。

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帰りは、三年坂を下りた所から右に曲がって、霊山護国神社に向かいます。目的は特にありません。歩いたことのない道を歩きたかっただけです。



霊山護国神社の桜は咲いていました。

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高台寺には寄らず、石塀小路を通って、なんとなく八坂神社から円山公園へ向かいました。



石塀小路、「田舎亭」の角。ここに「玉半」の石塀小路側の入口があります。

一人旅の時は安いホテルに泊まりますが、かつてオフシーズンに家族と来た時、ここ「玉半」に泊まったことがあります。母親をここまで連れてきて、今夜はここに泊まるよというと、少々吃驚した表情をしていました。泊ってみて、もちろん、家族は満足していました。料理も美味しかったですが、家族の間ではここの料理は京都で二番目とランク付けされています。一番にランクされているのは、八坂の塔の傍の「高台寺 阿わた」です。但し、このランク付けは私の家族が泊まった極めて数少ない京都の日本旅館の中での話ですから、あまり当てにしないで下さい。あと、評判のよかったのは、大原三千院前の「芹生」です。ここは、その後TVでよく紹介されるようになりました。

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円山公園の枝垂桜は相変わらずみすぼらしい姿です。



円山公園の枝垂桜。

枝垂桜は寂しい姿をしていますが、周りは大賑わいです。物凄い人出です。知恩院の前から神宮道へ下りて行きます。ここが凄かったです。駐車場に入りきれない大型観光バスが、知恩院の三門下を先頭に三条通り近くまで繋がっています。バスからは続々人が降りて、旗を掲げたガイドの後を列をなして円山公園に向かいます。凄いです。バスの間に何台か地元の車がはさまっています。かわいそうですが、ここは道が狭いから、どうしようもありません。
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六道珍皇寺

2005年04月07日 | 京都
豊国神社から北に向かいます。五条通りを横切り、六波羅蜜寺を目指します。



五条通りから六波羅蜜寺への途中、古い感じの家並みの間を行きます。



道端にはこんなお堂もあります。

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六波羅蜜寺からは、六道の辻の角を通って、六道珍皇寺に向かいます。六道珍皇寺は、冥土への入り口といわれるお寺です。本堂の脇に小野篁が冥土への通路に使ったといわれる井戸があり、脇の木戸の間から見ることができます。



お堂に収まった鐘だそうで、紐を引いて撞くそうです。隣には閻魔堂があり、中に閻魔様と小野篁の像がありました。

六道珍皇寺からは、東大路を横切って清水坂に入ります。真っ直ぐ行けば清水寺です。
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豊国神社

2005年04月07日 | 京都
阿弥陀ケ峰から下りてきて、ここにやって来ました。廟と社殿で1セットと考えればここに来るのがスジというものかもしれません。秀吉を贔屓しているわけではありませんが。



社殿は西向きです。結果、東の方向を拝みます。東の方向には、阿弥陀ケ峰があります。社殿と廟の両方を同時に拝む関係にあります。同じく東を向いて拝む西本願寺も同じような関係が成立していたということですが、徳川が反対向きに拝む東本願寺を建てたことでこの関係を遮断したとか。



ここは秀吉が大仏を建立した場所なので、周囲は大きな石の立派な石垣が続きます。神社の隣は現在の方広寺で問題の鐘があります。徳川によるとんでもないいいがかりですが、秀吉自身同じようないいがかりをつけて利休を切腹させています。
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阿弥陀ケ峰

2005年04月07日 | 京都
阿弥陀ケ峰は東山三十六峰のひとつですが、頂上に豊国廟があります。豊国廟といってもこれは明治になってから作られたものだそうです。秀吉が死ぬと、遺言によって阿弥陀ケ峰の中腹に葬られ廟と社殿が建てられたそうです。しかし、豊臣が滅亡すると徳川によって破壊されてしまいます。それが、明治になり秀吉の300年忌に際し頂上に廟が再建され、方広寺跡地に豊国神社が建てられたということです。



廟への登り口です。真っ直ぐに進んで、真っ直ぐの石段を登っていきます。



頂上の豊国廟。



廟への長い階段。一体何段あったでしょうか。廟から下りてくると下から女子大生が二人上がってきました。ここへの道の途中に京都女子大があったのでそこの学生かと思いましたが、話をきくと竜谷大の学生で桜を見にきたとか。階段の上のほうに小さく見える二つの影がその二人です。見えますか?



登り口へ下りてきました。数人の幼稚園児とそのお母さんが楽しそうにおやつを食べながら花見をしていました。
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養源院

2005年04月07日 | 京都
京都駅で家族と別れて、私の一人旅が始まります。午後も2時近くですから、駅の近くから攻めていきます。三十三間堂の東にある養源院に向かいました。



養源院の参道。「大聖歓喜天」とあります。



ここの枝垂桜は遅咲きですから予想通りまだまだです。



代わりに門前に大きな桜の木がありました。三脚をかまえたオジさんが必死に写真を撮っており、その後ろで若者が腰をおろして一人たたずんでいました。

隣の法住寺をちょこっと覗いたあと、阿弥陀ケ峰に向かいました。
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