コタラの社長日記

スリランカ産ハーブ「コタラヒムブツ」(学術名サラシア・レティキュラータ)を紹介され、世界初のサプリメントを製造!

行き着くところは、心の問題

2005-11-08 09:29:49 | Weblog
日本では、「武」を「道」に変えます。
武道、剣道、弓道、柔道など、他に茶道、華道etc・・・

この「道」は禅の心から来ているのだと思っています。
「武士」とは、「矛をおさめる事」だと聴きました。
おさめる=収める・納める・治める・修める、全部でしょね。
やたらに刀を抜いてはいけませんね~・・・
猿の真似でも・・・反省せねば・・・

住職は京セラの稲盛和夫さんとお会いし、歓談したそうです。
その中で『運命は縦軸、因果は横軸』と稲盛さんが話したそうです。
稲盛さんも出家し、実業に帰ってきましたね。
「転両輪」を実践している方だと思います。

「盛和塾」の案内書を頂きました。
<盛和塾は、京セラ(株)の名誉会長稲盛和夫から、人としての生き方「人生哲学」、
経営者としての心の持ち方「経営哲学」を学ぼうと1983年に立ち上がった自主勉強会に端を発しています。>と書かれています。

僕の好きな「安岡雅篤」さんは、
「運命」とは流れてくるモノ。
ですから避ける事も出来る、避ける事が出来ないのは、「宿命」。
「宿命」ならば、「天命」と思い、成し遂げる事が「立命」、
と書かれていたように思います、記憶違いかもしれませんが・・・

同じ本を読んでも、
人それぞれ色々な捕らえ方が出来ると思います。
読んだ時の心境、又時が経ち成長した時など、変わって当然ですね。
どちらが正しく、どちらが間違いでも構いません、
僕は、僕の信じる道を歩むだけです。
今遣らなければ成らない事を遣っている事が大事だと思います。

「何故それをするのか、したいのか?」
この事を常に問われているような時間でした。


写真は、「海上山長興寺」で行われる「泣き相撲大会」のポスター

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4 コメント

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含蓄 (飯村和彦)
2005-11-08 12:30:51
含蓄のある言葉です。

「運命」と「宿命」

確かに違いますね。

けれども、よくよく日常に目を凝らしていると、「運命」がそばを通り過ぎるときは、

どこか、分かるような気がします。

ただ、運命は、

それとさとられないように、うまく「変装」しているように思います。

ところが「宿命」となると、

これはもう、人間の力が及ばない感じです。
飯村和彦さん、こんにちは~! (コタラ)
2005-11-08 13:25:27
僕の考えですが、

「運命」とは、

関わりを持つ、持たないを自分の意思で決められるモノと考えています。

「宿命」とは、

魂として逃げる事が出来ない、成し遂げなければならない前世からの課題と考えます。



26年前に始めた塗装業、

3年前に創めた健康食品、いずれも宿命だと思っています。

だったらヤッテヤロ~じゃないか!と思い、

行動しています。

遣り出すと好きになれる、良い性格です。





運命と宿命 (PALすず)
2005-11-08 23:39:14
TBありがとうございます。



同じ本を読んでも、

人それぞれ色々な捕らえ方が出来ると思います。



↑確かにそのとおり!!



私が思うには、

運命というものは、一種の『記録』に過ぎないと思うのです。



たとえば、目の前に左右に分かれる分岐点があったとします。

Aさんは右に行く、と決まっているものではなく、

その時Aさんが右に行ったから、運命は『右』ということになった。



そのときに右に行くように決まっていたわけではなく、右に行ったに過ぎないということ。

なので、そのときに左に行っていたら左が運命だということ。



過去はやり直しがきかないので、『運命』という言葉でどこか逃げ道を作っている、一種の人間の弱さが露呈されているような、そんな気がします。



これは運命だから仕方がない…



みたいに。



よく考えてみると、同じような逃げ道を、人間はいっぱい作っているのかもしれませんね。
PALすずさん、こんにちは~! (コタラ)
2005-11-09 16:05:43
運命は選択でき、宿命は果たさねばならぬ義務と考えています。

ですから僕は、選んでしまった運命ならば宿命だと思って行動します。

自分で選んでしまったものを、神や天の所為には出来ません。

選んだ運命で失敗ならば、失敗を学んだと思えば良いと考えます。

次の段階の為に!

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