山村留学体験記&棚田復活!         あの山の向こう

横浜→長野へ山村留学した長男(中学3年間)と次男(小4-5)の記録と山留「その後」+山村の耕作放棄棚田の再生挑戦記♪

縁と通行手形

2011年04月05日 | 棚田再生プロジェクト
今日は、ちょっと妄想的な・・・ 戯言みたいな日記。

あまり深読みしないでさらっと読み流してください~~



私が美麻の土を踏ませていただいたのは、きっと たぶん おそらく

偶然ではないのだと思っています。


もともと、motoの山村留学も「美麻」ではなく、「八坂」しか考えていなかったし

というより、motoも私たちも、“山村留学イコール八坂”・・でしたから

美麻の存在自体を知らずにいました。

何もなければ、そのまま八坂の学校に行くところを

東京での入園面談の直前に、美麻に山村留学していた先輩と逢い

「美麻は給食美味しいよ」のたったひと言で

迷うことなく、美麻志望に変更し半ば無理やり入れていただいたわけで

一度も美麻に視察に行くでもなく学校見学に行くでもなく

その瞬間のノリで2人で即決してしまった似たもの親子です(笑)


それから、実は何度も美麻と縁が途切れそうな局面(修園)があったにも関わらず

次男Joの山村留学に襷を繋ぐ形で、足掛け4年。

なんとなく・・・ 4年かけて

美麻先代のみなさんから「通行手形」をもらえたかな~ なんて感じてます。



棚田は昔の美麻の象徴的なところだったのか、人が集まるような場だったのか

実際は分からないのだけど

私の心のどこかで、さわさわと、棚田に先代の人々が集まってくるような

そんな「イメージ」が沸くことがあります。

棚田復活は、少なからず 喜んでくれている気がしています。(たぶん)


私は、この土地の人間ではないので 

本格的に棚田の復活作業に入る前に、一度きちんとご挨拶しておかなければと

イメージが沸いてきた、ここ数ヶ月。

その適当な方法は?と考えていました。

棚田は、いろいろな地主さんがいらっしゃるので、地主さんもそうなんですが

この村を守ってくださっている土地や山の神様や先代の方々には、

どう、ご挨拶すれば失礼がなく伝えられるのかな。。。と。


そして、この通行手形は、ある意味、「バトン」のようなもので

ずっと途絶えないように、手から手へとつなげていく約束をした「つもり」でいます。

(あくまでも勝手な思い込みですけど)


農家の父さんは、この土地や棚田のキーになる人。

父さんの重い腰を持ち上げる片棒を担いでしまったことは

父さん母さんに少し申し訳ないような気もしてるけど

ちょっとは「親孝行」もするから許してね(^^

応援してくれてるのは、先代の皆さんだけではないようです(^^

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1 コメント

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祈年祭 (農家の父さん)
2011-04-07 21:25:09
4月20日に氏神様の春の例祭(祈年祭)がある。『年を祈る』ということは、古くは『収穫を祈る』ということ。
関東支部として、御酒を献上し、祭礼参加の希望があるのなら、地域に亙りをつけようかな?
祭礼は氏子(20人)全戸がそろう。
若干の負担が必要。
当日は、昭和12年4月20日の大火(集落全部燃えた)の思いを忘れないように、鎮火の行事もある。
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