台南・ダイアリー

台湾の台南市で3年、新竹市で2年駐在して、色々な所へ行ったり美味しいものを食べたりしました。

水交社之回憶 ( 後編 )

2006年07月21日 | 台南


 


” 水交社 ” は
  台南の WONDER WORLD だ!



台南市の南部には、
実際の地名とは関係なく、
ローカルの人が
” 水交社 ”
と、特別に呼んでいる地域がある。

この、” 水交社 ” の辺りは、
すごく独特な歴史を経ているんで、
町の風景が
他の台南の市街とは、
全然違ったものになってしまっている。

水交社に出かけて撮った上の写真は、
なんか、シンガポールかどこかの 南国の景色みたいだが、
広い通りには人気が全くないし、
台湾では普通埋設になっている電線が、
日本みたいな電信柱を使って、空中に引かれている。




” 水交社 ”
と呼ばれる地域は、
大体、
健康路とその南側、南門路とその西側の辺りだ。

この地域は、

(1)明代~清代は、
   ” 桶盤浅 ” と呼ばれる大きな墓場だったが、

(2)日本統治時代に、
   海軍が、数百の軍の官舎が並ぶ大居住区に改造した。 

(3)戦後になると、
   蒋介石の国民党空軍に接収され、
   台湾空軍の官舎や、進駐米軍のクラブハウスがある地域になった。

(4)そして現在では、
   米軍は台南機場から撤退し、
   台湾空軍の家族も殆んど他所へ行ってしまったので、
   少し寂しいが独特の雰囲気のある場所になっている。
   ( オレは、そいつが好きでよく散歩に行くのサ。 )

前回、

” 水交社乃回憶 ( 前編 ) ”
   で上の(1)と(2)の、
   明代~日本統治時代について書いたので、
今回は

” 水交社乃回憶 ( 後編 ) ”
   で(3)と(4)の、戦後~現在を、

レポートすることにする。



(3)戦後


   ( 志開新村自治会 )           ( 将校級の人の官舎 )

第二次世界大戦が終わった
民国38年 ( 西暦1949年 )、
日本軍が引き上げた後、
蒋介石の国民党空軍が台南飛行場を接収し、
水交社は空軍軍人の官舎として使用されることになった。

ただ、
現実には国民党空軍は、
この時点では十分な飛行機を保有しておらず
アメリカ第13航空隊が同時に台南飛行場を利用することにより
中国共産党に対する制空権が保持されていた。

1950年代~60年代の両岸紛争時には、
国民党の装備も充実してきて
台南飛行場は台湾にとって重要な役割をはたし、
” 雷虎小隊 ”
等の異名をとる部隊が大陸偵察を敢行した。

この時期の水交社の文化は、
米軍の影響が大きく、
上の方の写真で見る、
志開新村自治会の表札デザインや、
将校級の人家の色彩などにその跡が伺える。



   ( 空軍食料供応所あと)        ( 供応所=市場の内側 )

その頃、
水交社のメインストリート、興中路には、
空軍食料供応所 ( 今の水交社市場 ) が出来て、
大陸から来た人や、アメリカ空軍の人向けに、
それまでの台湾南部の人にとっては珍しいものを販売し始めた。

この市場は、
規模から言えば台南の他の大市場より小さいが、
春節 ( 旧正月 ) の支度をする時期には、
大陸の食材を求めて、
台南県のはずれや高雄からまで
外省人の人がこの市場に来て大変な賑わいだったそうだ。



  ( 蔡家豆漿 )                ( 老李布荘 )

左上は、
今の市場の中にある、
” 蔡家豆漿 ”
というミセだが、
オレはここの豆乳が今まで台湾で飲んだうちで
一番うまいと思う。

市場の端の方には、
” 老李布荘 ”
という、一見パッとしない洋服/生地屋があるが、
このミセは戦後、空軍関係者達の委託販売もやっていたので
その頃のミセには、
当時誰も見たことも無かったような
AP( American Optical ) の飛行用サングラスとか
ARROWの シャツなんかがバンバン売られていて、
ずい分遠くから
” 舶来品 ”
を買いたい人がここを尋ねてきていたということだ。



 ( Arrow のシャツ - 写真は ”古着屋DUFF ” )様から拝借したもの

Arrow のシャツというと、
日本人も年配の人ならすぐ、
「 進駐軍の着ていたギャバジンの・・・・。 」
とか
「 あのロカビリーの歌手が着てたやつだろ。 」
と思い出すものだ。
今でも、
ビンテージや古着のオークションなどでよく見ることができる。



 ( 健康路 WESTERN II )          ( 健康路 老拓 )

当時、
水交社には米軍のクラブ
” MAGAMBO ”
ができ、米兵がよく飲んで遊び歩いたので
健康路には沢山の米軍相手のバーが出来た。
この名残りがあって、
今でも健康路には
アメリカスタイルのバーや音楽パブが多い。

全盛期の週末には、
SP憲章をつけた米兵がいたるところを飲み歩き、
それを待つ三輪車 ( 普通のタクシーはまだ台南には少なかった ) が、
健康路場に長蛇の列を作っていたそうだ。



  ( 台南棒球場 )        ( フェンスの向こうの米軍 - オレのイメージ )               
この時期水交社には、
バーだけでなく、野球場や、野外映写場などもできて、
すごく賑やかな繁華街になっていた。

今の水交社には、
もう全くその面影はないが、
ローカルの人と酒を飲みながら
当時の、
ちょっと猥雑さを含んだような賑やかな様子を聞いていると、
その頃の水交社のイメージが、
だんだんと、オレの中にある
” 横須賀 ”
とダブってくる。
( オレの家は横浜市だが、南の端なので横須賀は目と鼻の先だ。 )




(4)現在


    ( 阿玉 )               ( 阿玉陽春麺 )

こういうような経緯から、
台南の人の印象では
「 水交社 = 蒋介石と一緒に来た、外省人の人が住む地帯 」
というイメージが強いみたいだが、

現実には、
以前千数百人もいた外省人も、
他の地域軍官舎へ移動したり、
台南市の文化園区計画があったりして、
現在は十数戸の家族が残っているだけだということだ。

実際、前回紹介した日本式の家屋も
今は殆どが、空き家になっている。

今の水交社市場に行って、
場内で人気がある
” 阿玉陽春麺 ”
を食べると、
これはうまいのはうまいし、
野菜が多くてヘルシーでもあるんだが、
どう食っても、
白くて柔らかい外省麺の陽春麺とは違うものだ。

すでに年月が経ち、
台南の人の口に合うものに調整が進んでしまった
というところだろうか。



  ( 阿菊 )               ( 阿菊陽春麺 )

市場の場外にも、結構有名な
” 阿菊陽春麺 ”
があって、道地な ( オリジナルテイストの )陽春麺を求める
台南の人がよく訪れてくる。

しかし、
こちらももう
ミセの中はバリバリの台湾語が行き交っているし
麺自体の味わいも、
大陸風の
” 陽春麺 ”
というより、もはや台南名物の
” 担仔麺 ”
に近いものに変ってしまっている。

かっていた人が去り、
食べ物等の点においては、
水交社は確実に他の台南の地域と同化しつつあるような
感じがする。


 
  ( 引越を知らせる張り紙 )         ( 人が出て行った後の家 )

そんな風に今の水交社は、

昔、墓場だったことや、
日本軍が大挙して住んでいたことや、
米軍の遊ぶ繁華街だったことや、
大陸から来た人の家族が住んでいたことや、

今は殆ど以前の人が去ってしまって、
部分的には、
台南の他の地域と同化していることが、

渾然一体となり、
やがて段々と風化して、
一種独特の雰囲をもつ場所になっている。


 
  ( 誰もいない道 )          ( 残ったポスト )

その雰囲気というのは、
実際に水交社に行って見れば判ると思うけど、

” 寂れた ” とか ” 淋しい ”

っていうのとはちょっと違って、
表現が難しいが

” きれいな乾いた貝殻 ”

みたいな、
なんか、
色がある空虚さ - を感じさせるものだ。





- という、こんなところで、
長かった ” 水交社之回憶 ( 前・後編 ) ” のレポートも
    無事終了させて頂くことにする。
     それでは次回まで ごきげんよう !




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7月21日の練習 - ウェイト少々(自宅)


  σ(^_^;)  ほひぇー ・・・ 暑 ・・・






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6 コメント

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詳しい解説、ありがとうございました (としぞう)
2006-07-23 12:57:52
tada様、はじめまして。これだけ台南を深堀されているサイトは他に見たことがなく、いつも楽しみに拝見しています。

水交社は、一月に剣橋飯店で借りた自転車に乗って保安站まで出掛けた途中、偶然に迷い込みました。

日本家屋や、壁に残る自強運動のスローガン等から大体のことは想像が付きましたが、お陰様で細部に到るまで得心できました。

訪れたのは夕暮れ時で侘びしさも一入でした。あの建物群がいつまで残るのかわかりませんが、もう一度訪れて見たいものです。

是非是非、これからもいろいろなことを教えて下さい。

このブログ、本になるなら私は喜んで購入しますが、そんな予定はありませんか?
としぞう さんへ (kool_tada)
2006-07-24 19:28:54
としぞう さん、



こんなBLOGですが、

楽しく読んでいただけているとのことで、幸甚です。

もし、また水交社にお出かけになるのでしたら、

朝早くをお奨めします。

水交社の市場は午前中だけしか開いていませんし、

先日、午後2時位に散歩したら

暑くて意識が遠のくほどでした。



出版のことですが、

一度、雑誌社からエッセイを頼まれましたが、

残念ながらBLOG全体を印刷物にしてくれるような

物好きな会社は無いようです。



また、何か面白いことをみつけては報告しますので、

お時間がお有の時は

このBLOGもチェックしてみてください。



では、失礼いたします。

はじめまして (凡子)
2006-07-26 16:44:44
素晴らしいブログですね。うらやましい限りです。

住みたいなあといつも思います、台湾。

水餃子のこと、牛肉面のこと、どれも

「うんうんうんうん…」とうなづきまくりです。

素食についての文章もあるのかな?台北の素食屋で食べた

水餃子もすばらしかったので…。

ああ、また行きたくなってきた…でも今は暑いからなあ…

もとは北国の生まれなもので(笑)、去年の7月に行った

時は死にそうでしたが、でもやっぱりいいところです。

これからもブログ、読ませていただきます。

…冬瓜茶のことも書かれてましたか?

ちゃんと読んでなくてすみません~(汗)。
凡子 さんへ (kool_tada)
2006-07-28 13:43:53
凡子 さんへ



コメントありがとうございます。

今本当に台湾は暑いですから、もう少し経ってからお越しの方が

良いかもしれませんね。

9月3日から11月まで台北では

”国際牛肉麺フェスティバル”

がありますので、

台湾の名店や世界の牛肉麺を色々食べられる良い機会です。

その頃来た方が楽しいかもしれませんね。

11月には故宮博物館も全面オープンになり

北宋関係の大展示会をするみたいですよ。



では、失礼をいたします。



kool_tada
昨日行きました (さいれん)
2008-04-14 01:49:50

自転車コイで行きました。
残念ながら多くの家屋が取り壊され、店舗も市場以外は全くありませんでした。周囲の学校や水交社幼稚園なども取り壊しが始まっていました。空軍が何かの施設を立てていくのでしょうか?
さいれんさんへ (kool_tada)
2008-04-15 23:47:05
さいれん さん

現在、水交社で進行しているのは
台南市が推進している
” 文化園区計画 ” です。
民国114年までに、
水交社地域を公園、学校、住宅、商業区などに
再開発しようとしていますが、
若干の日本家屋も古跡として残す予定になっているようですよ。

そういうことで、とても残念ですが
もう、かっての水交社の様子を見ることは
二度とできなくなりました。

kool_tada

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