食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『人の驕り』

2014年10月04日 13時52分55秒 | 日記

自然災害の多い日本のインフラの整備により昔に比べれば圧倒的に治水はよくなっている。しかし、どんなに整備

されても人と自然の付き合いは難しい。水は高い所から低い所に流れる。曲がった所では直線的に流れようして泥

を削って新しい通路を作ろうとする。また、過去の災害から得た教訓を元に改良も加えてきたことは歴史が示して

いる通り。そして人は土手を築いたり高くしたりして安全性を高くしてきたつもりになっている。

ところがこうした対策は自然の摂理と人間との知恵比べで残念ながら人間は水を制するに至っていない。

気象条件の違いによる治水の想定雨量を大きく超えるようなことが度々、発生するようになってきたことも過去の

対策、知恵が活きない理由でもある。もしそれが地球温暖化によるものだとしたら、元からの自然の姿を人間が破

壊したとする考え方が正しいような気がする。 

御嶽山の火山噴火の被害が起き、未だ後片付けも出来ず再出発の準備も整わない広島の土砂崩れ災害はニュー

片隅にも載らなくなった。広島の土砂崩れも自然に対する人の挑戦でもあった。急斜面の所は雨があれば水が

流れ出す。許容量を越えれば土砂崩れになること誰でも知っている。そこに家を建てて未曾有の大雨が降れば結果

は明白であるにも関わらず、人は人の経済的な都合で危険を承知で家を建てた。

しかし前提は未曾有の雨が降ったことはないし、これからも降らないだろうという不確実な安心から人の妥協によ

るが、自然は人と妥協したのではない。こうした例は広島の例だけではなく日常的にある。

水の災害は人が自分たちの都合のいいようなルートで治水しようと整備したために起こる場合が多い。都会地では

地下貯水池など馬鹿げた大規模施設に莫大な費用をかけて作っている。この貯水量の想定は時間雨量50㍉とされ

ているから、近年のゲリラ豪雨からみれば数値的には既に破たんしている設備だ。道路をアスファルトで舗装した

所に大量の雨が降ればどうなるか、これも誰もが知っている。水は高い所から低い所へ、地下は低い所だから地下

に流れ込む。水が浸透する舗装など新しい知恵が救世主になるのか。

人が作り込む自然災害、人が自然を制するなど人の驕り、自然に合わせた人の生き方が人の命を守る一番確実な対

策だと思う。

          http://teikoma.web.fc2.com/

        冊子:食道・胃の多重がんと闘うホームページ


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