食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『回顧録、手術Ⅱ』

2013年01月23日 16時22分38秒 | 回顧録

麻酔に落とされた私は切り刻まれていたのに何一つ知らないで、手術の重みに耐

えに耐え続けていた。食道と胃だから開腹手術は当然のこと、胃の再建と食道との

接続、リンパ郭清には開胸手術も当然のことになる。それらの説明は確かに受けた

し、同意書にも署名捺印している。

開胸手術はあばら骨に沿って切り開き、あばら骨の間にジャッキを入れて骨と骨の

間に作業用のスペースを作ってから行われる。私の場合は右の胸が開かれ、手術

中は肺が動くと作業上不都合なので右肺を止めて、心肺装置のお世話になる。

肺を止めたり、麻酔の影響やらあるから煙草で肺にダメージがあると、この手術に耐

えられるか、回復に問題を生じるか、心配の種は尽きない患者だった。

『最悪の場合ICUに2週間くらいいることになるかも・・・』と言われたことがあった。結

果としてはショートカット出来たから、こうしているが万が一想定のように長期戦だっ

たら、回復に大きな遅れと別の問題を抱えていたことも考えられる。こうした一連の手

術で腹や胸の中は切ったり貼ったりの大そうな傷だらけ、さぞかし痛かろう。ところが

傷は麻酔もあったろうが全く痛みを感じないから、本当に手術をしたの?と思えるほ

ど。それも後で起こったあばら骨の痛み以外は・・あばら骨は我慢できる程度のズキ

ズキで、痛みの点では唯一こいつだけだった。

手術をすればいくらゴッドハンドの医者でも血は出て来るから、もし不足するようなこと

になれば輸血は避けられない。近年の病院や学校などには甚だご同情申し上げる

が、我儘で主義主張の多い人間が増え、個人の意思を尊重しなければならなくなっ

た。宗教上の問題で輸血拒否,個人の考えよりも教義や教えを尊重するのが当たり

前との理由だろうか、助かる生命も危ういこともある。

私には理解できないが、様々なことに対する担保を確保しておく必要に迫られ『輸血

同意書』まで提出しなければならないのだ。単純人間の私は『血が出過ぎて不足する

ようになれば、輸血でもして貰わんといけんで』と先生にお願いする方なのに、わざわ

ざこんな仰々しい説明まで受けて、まるで『輸血させて下さい』とお願いされているよう

な感じになる。ここに至るまでには、様々な事故や患者との軋轢などあったことだろう。


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