食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

『もし(if)父』

2014年08月19日 17時42分09秒 | 日記

明治後半生まれ私の父は文章や絵を書くのが好きで自分の文章が活字化されることに大きな喜びを感じていた。自

分の文章を何らかの形で活字化できる時代が来れば、どんなに素晴らしい事だろうと、現代のグーテンベルクが現

れるのを待ち望んでいたに違いない。アルファベットならタイプライターがあり、少し高いが手に入らない事はなくても

漢字となれば個人が持つことなど不可能。

下半身不随になり寝たきりになってからも思い出話、川柳、俳句、投稿記事など文字との付合いが人生となった。

新聞投稿が時折採用され記事になると喜び、再び投稿への活力としていた。その頃、時代は進化しワープロが普及

し始めていた。父は小冊子を自費出版すると言い出し、その原稿作りに精を出していた。原稿作り、印刷、製本の

3段階ある作業のうち、原稿をワープロで作るだけでもコストダウンできると聞き、私が手助けした。

簡単に活字化できるから、それだけでも父は大層喜んでいた。未だ画像と文字を自由自在に混在編集できるもので

はなかった。以後、ワープロは進化していったが、やがてPCに取って代わられてしまった。

PCがいくら進化したと言っても文章の編集はワープロのものだと今でも思う。

PCが普及してワープロ機能は描画ソフトとの融合そして画像ともドッキング、何でも組み合わせることが可能に

なった。あれほどまで文章や絵などを自分で自由自在に編集を願っていた父に今のPCを見せたら腰を抜かすので

はないかと思う。文章に自分の描いた絵を入れたり写真を組み入れたりまた文字の大きさ色も変えられるなんて事

を知れば子供のように目を輝かすことは間違いなし。また、印刷にしても本を作るための工夫もあり、自作本も簡

単に叶う。寝たきりの人でもPCを操作をして作品を作り上げることが不可能ではない時代、父が存命ならどのよ

うな取り組み方をしていたのだろうか。

  父が鉛筆1本で描いたジョン・レノン

実物はもっと繊細な線で描かれている。


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