言葉はその地域に土着して暮らしていた時代、親または地域の人から子に伝えられ
ていたから、方言は方言のままで意味も余り変わることは少なかった。人が地域を越
えて別の地域と交わりが可能になると、言葉にも少しずつ変化が出てきただろうし、
地域が広がれば更に変わっていったと思う。
現代になるとTVやネットなどを通じて、田舎と都会の言葉の壁はなくなってしまった。
方言や訛りが定着している処でも、若い層になるほどそのハードルは下がり方言すら
聞かれなく傾向にある。
だから何の拍子で流行り言葉になったり、取り上げ方によっては本来の意味とは違っ
た言葉として使われることもある。分かり易い例は『やばい』、『危険』という意味で若い
者の間で流行り、私たちが子供のころは年寄りが眉を潜めるような下賤なものとされた
ものだ。意味が変わって今では凄いという意味合いで使われているのはご承知の通り。
私が気に入らないのは『・・・になります』の馬鹿言葉。どこで何が間違ったのか知らな
いが一時は非難される時期もあったが今は公民権を得て、何処でもかしこでも馬鹿み
たいに使っている。
これと序列を同じくしているものに『あの子は・・・』と先輩でも後輩でも、大人も子供も
分け隔てなく使う。先日、40過ぎの女性が事件に遭った成人の知人としてインタビュー
を受けていて、やはり『あの子』とやっていた。
こういう使い方は何時ごろからなのか気づかなかったが、最近は当たり前のように日本
国民は成人も子供も『子』になってしまった。これはどんな屁理屈をつけられても逃れ
られない馬鹿な表現だと思う。
などなどと、難癖をつけているが言葉は時代と共に変わっていく。美しい日本語とよく
言われる。変わって欲しくない言葉、大切にしたい言葉は人それぞれだろうが、男も女
も下賤な物言いになるのだけは願い下げしたい。
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