「中道」というのでしょうか。

2015-09-05 21:23:56 | 心のつぶやき

なんでも、行き過ぎても、足らな過ぎてもいけないんだと思うようになりました。

「中道」というのでしょうか。

 

釈尊の「悟り」の真髄とされる「中道」とは、「両極端を離れた」という意味だとされる。

 

よく言われるのが、のめりこみ過ぎ。

いいと思ったら、とことんのめり込む。

誰が何と言おうと聞くもんでない。

情熱も、お金も、エネルギーもとことんかける。

 

そして、あるとき、そうでもなかった現実に気づき、どーんと落ちる。

落ちるとこの世の中で、一番不幸のような気がする。

 

はたしてそんなことがあるとも思えないのに。

 

のめり込むと、視野が狭くなり、正しい見方ができなくなる。

 

その揺れ幅があまりに大きく、心が疲労する。

疲労とは、喜びや、悲しみが、極端になって、疲れる。

 

喜びはともかく、悲しみはつらい。

えぐられるようなつらさ。

 

こういう見方もあるなとか、時分はこう思うが、正しいだろうかとか思えない。

 

のめり込みということは、人の意見も受け入れられない、いろいろな視点から見れないとうことなのかもしれない。

ということは、我儘かもしれない。

 

のめりこみではなく、いいと思うものでも、にっこり、淡々と追求していきたいものです。