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引越しいたします。

2.28事件、3.1運動から幾年、それならば2.5は?(続き)

2007-03-03 00:21:24 | ニュース

(昨日よりの続き)

 伝えられるところによると、数多くの被拘束者たちが留置所の中で殴打されたという。伝えられるところによると、Yengi Hayat刑務所内でのある事件では、およそ40名の人々が無理やり地面にひざま付かされ、警察官が振り回した木製の棒によって背後から殴打されたという。複数の目撃者によって報告されている別の事件では、2月5日に拘束された300名から400名までの間のデモ活動家および住民の一団に対して公開の場所-おそらくはスタジアムで数人の兵士および機動隊によって冷たい氷水が放水されたという。伝えられるところによると、子どもを含むこの集団は凍てつく2月の気温の中で2時間の間その場に濡れたままの状態で放置されたという。被拘束者の中の数人の若い男女は無理やり雪の中で素足で走らされた。この結果、被拘束者のうち酷い凍傷で苦しんでいた者たちが病院に連れていかれた。告発によると、複数の者が彼らの手足や指を切断されなければならなかったっという。この集団の残りの者は刑務所に連行された。

 伝えられるところによると数千人の人々が抗議活動をするために通りに行き、騒動は翌日も続いたという。この時までに多数の臨時警官が都市の中に送り込まれた。伝えられるところによると、彼らは子どもを含む人々を逮捕し、殴打するために通りを通り抜けたという。伝えられるところによると、幾つかの地域では、抗議活動者たちは警察官および漢民族の住民・店舗を攻撃し、複数の車両に火を付けたという。一方、伝えられるところによると治安部隊は抗議活動者や(その場に居合わせた)傍観者に対して発砲を始めたという。命を失った者達の正確な数は今なお不明である。

 中国当局は「テロリズム」活動としてこの不穏を公式に評価した。2002年1月に発行された「人民日報」の報道では、中国当局は後に東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)と名付けられる東トルキスタン・アラー・イスラム党(ETIPA)による事件に起因するものだとした。この結論を根拠付ける証拠は身明確なままであるものの、中国側の主張で、ETIMは2002年に国連によって「テロリスト組織」として指定された。2003年2月、アムネスティ・インターナショナルは新疆ウイグル自治区政府の議長のIsmail Tiliwaldiに対しこの事件でのETIPAとETIMの関与を示唆する公式の主張を実証するための更なる情報の提示を求めるために書簡を書いた。また、この書簡では当局はこの事件に関与したとして未だ留置所に残されている人々に関する公式な情報、そしてデモ活動やその後に続いた不穏の中で起きたと伝えられている殺害、拷問、および他の深刻な人権侵害に関する全ての報告について独立の調査を行うことを求めた。アムネスティ・インターナショナルは現在に至るまでこの書簡に対する返答を受け取っていない。

 アムネスティ・インターナショナルは、このデモ活動およびその後続いた残忍な弾圧の8回目の記念日において、一連の事件で命を失い、傷を負い、今なお獄中に残る全ての人々のために、(事件に対する)責任と透明性、および裁きを再び繰り返し主張するものである。

このアムネスティの声明から2年、いまだに1997年2月5日の真相は明らかではない。中国がもし暴乱であったと主張しつづけるなら、納得させるような事実の開示をするべきである。

参考 
我々は忘れることを拒む

http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20060206
続き
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20060207

ラビア・カーディル クルジャ事件を語る。
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20070205
続き
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20070206

 
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