real SR

引越しいたします。

鄭和と陳誠

2006-05-05 00:04:22 | テレビ番組

昨日5月3日NHK総合で明時代に永楽帝の命により大艦隊を指揮して、アラビアやアフリカにまで到達した鄭和についてのスペシャル番組があった。
シンガポールとNHKの合作ですでにBSハイビジョンで一度放送されたものだという。
番組の内容はこちらのサイトにうまくまとめておられたので参考にしていただくとして。
http://cardiacsurgery.hp.infoseek.co.jp/Opinion.htm#060504

ムスリムで宦官であった、鄭和が大艦隊を率いて平和的にインド洋や東南アジアの諸国に「朝貢」貿易をうながしそれは大成功した、のちのバスコダガマなどの西欧の侵略的な「地理上の発見」に比べれば平和指向の偉大な外交であった。現在、鄭和は鄧小平が歴史の舞台に復活させ改革解放の手本とさせており、今の中国の海外、特に中東地域での中国資本の展開は鄭和の夢をかなえているようである。

そういう結論としていた。
そんなこといいながら実際中国国内のイスラム教徒(特にウイグル族)といえば
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20060208
http://blog.goo.ne.jp/kokkok2014/d/20050430

ところで、鄭和とほぼ同じ時代、陸上の鄭和というべきである人物がいた!このことは日本でほとんど語られたことがない。(検索したがでてこない。)
その人の名は陳誠である。
陳誠は字を子魯といい江西出身、明の洪武帝の時代に科挙に合格して吏部(人事部)の員外郎というランクの官職になり、1414年永楽帝の命で西域に派遣されることになったという。鄭和と同じように西域の諸国に朝貢を促したとされる。当時はチムール帝国の時代、チムールが1405年に死去したとはいえまだその力は強かったと思われる。陳誠は東トルキスタン地域をハミ、トルファン、イリと進みサマルカンド、ヘラートに達した。帰国後「西域行程記」「西域番国志」という旅行記を記したそうである。当時の諸国の様子が詳しく報告されている。

なぜ、陳誠が鄭和と違ってほとんど語られないのか?それはひとつには東トルキスタンが実は明国の勢力圏外であったことを悟られたくないからではないか?
http://www.epochtimes.com/b5/1/9/15/c5895.htm

追記

陳誠については作家の玉木重輝さんが書かれていたサイトがありました。
http://www.geocities.jp/mongol_link/News_Index/World_Times/World_Times_1995.html
是非ご覧ください。

このブログに興味を持ったらクリックお願いします。
Banner_03