[写真]大阪16区の公明党公認の北側一雄候補(左)を応援する岸田首相と山口代表、きょう2021年10月24日、大阪府堺市の南海「堺東」駅前で、宮崎信行撮影。
第49回衆院選は、大阪府内では維新が全勝に近づく勢いで、三つ巴の選挙区で、立憲が相対的1位で当選する選挙区も出そうな情勢。
大阪16区(堺市の堺区など)は、現職が公明党の北側一雄さんですので、維新は候補者を立てず、立憲民主党の森山浩行さんの一騎打ちが連続5回目(実質一騎打ち含む)となりました。
岸田文雄首相(自民党総裁)が南海電車・堺東駅に応援に。地元政界関係者によると、安倍さんも現役首相として入りましたが、山口那津男代表とのスリーショット演説はおそらく初めて。公明党公認の前哨戦は、北海道10区・東京12区・広島3区が「あぶない」とされましたが、このうち1つは当選圏内となったようで、大阪16区がてこ入れ3選挙区となりつつあるもよう。
演説会で北側一雄さんは「今度の選挙は政権選択選挙です。掲示板を見てください。立憲民主党の人を応援して共産党は候補者を立てていません。自公政権か、立憲共産党政権か。共産党は自衛隊を認めていません」とこきおろしました。北側さんは「一騎打ちで厳しい選挙だ」とも語りました。
[写真]山口代表(中央)の演説に拍手する岸田首相(右)、同。
山口代表は「私たちは謙虚に政権合意をして岸田内閣をつくっている。我が党から斉藤鉄夫さんを推薦して、総理に国土交通大臣に入れていただき、一緒に内閣をつくっています。枝野さんは党首討論で、共産党は政権に入れない、と言っている。今、岸田総理が到着されました。みなさん、岸田さんの話を聞きたいでしょうから、私からは手短に一つだけ言わせてください。この選挙は政権選択選挙です」という趣旨の演説をしました。岸田さんは隅に立ち、山口さんの話に拍手しました。
ところが岸田さんは「みなさん、今回の選挙は未来を選択する選挙です」とちぐはぐな展開。その後、追加経済対策をめぐって自民党が提案していない若年者への給付金などについて公明党が良い案があるので、選挙後に、自民党と公明党がもんでいい案にしたいと聴衆に説きました。
岸田さんは「北側さんは1990年初当選なので私よりも先輩で国土交通大臣もされました。また弁護士でもあります。私は外務大臣を4年8ヶ月つとめましたが、北側さんは、弁護士として外交安全保障で貴重なアドバイスをいただきました」と述べました。これは、2014年7月1日の集団的自衛権解禁をめぐり「急迫不正の侵害事実」という刑法の正当防衛を自衛隊に敷衍した羊頭狗肉の閣議決定。立憲主義が崩れました。
なんら悪びれるようすはなく、拍手の中、演説会は終わりました。ところで、自民党総裁演説会では、司会の自民党地方議員が「総裁はまもなくいらっしゃいます」など身内に対して敬語を使う自民しぐさがありますが、公明党は「岸田総理がかけつけていただいていますし、山口代表がかけつけていただきました」という不自然な現在分詞形ですが、これはいいなとの感想を持ちました。
立憲の森山浩行さんは、今月すでに枝野代表の応援を受けていますが、きょうは南海電車の始発駅「なんば」で応援を受けました。
[写真]演説する大阪16区の立憲民主党公認の森山浩行候補(左)と枝野代表(右)、大阪市の南海電車「なんば」駅前で、きょう2021年10月24日、宮崎信行撮影。
森山さんは「今だけ、カネだけ、自分だけ。私は若い頃、カンボジアに学校をつくりに行ったが、今では日本が沈んでしまった」としコロナ禍での学生の支援などを訴えました。
枝野さんは「公正な再分配によってしかこの国の経済は良くならない。一部の人だけ豊かになる自公政権を倒す」としました。
[写真]演説に力が入る枝野代表、同。
なお、なんばの演説会では、4選挙区の立憲民主党公認候補が顔をそろえましたが、いずれの選挙区でも維新よりも得票が上回る情勢は見えてきていません。
これに先立ち、森山選挙事務所を訪れました。第49回衆院選での私の選挙事務所訪問は初めて。森山さんの奥さんと、2期目の4年間支えた東京での政策秘書に会えました。
[写真]オープンでクリーンな雰囲気の森山ひろゆき選挙事務所から出てきた筆者、堺市堺区中瓦町で。
以前にもちょっとだけ書きましたが、ミャンマーのクデーターにより、同国のサッカー代表選手が日本への難民申請で森山浩行衆議院議員が汗をかきました。森山さんの高校同窓の堺市議(無所属)の兄が団体をしており、参議院議員から「森ちゃん頼む」と大阪府内でのサポートを依頼されたそう。長居スタジアムでの日本での最終試合で、団体が車で選手を待ち構えました。
このとき、東京にいた森山議員から百恵夫人に電話が。「最初に、人の命にかかわうことだから、心して聞きなさい」と。私が百恵夫人に「え、もりもりって、ももちゃんに対してそういう口ぶりするの」とたずねると本当に初めてのことだったようです。そして、後援会長と百恵夫人とで、堺市内の事務所に寝袋などを用意して待ち構えていました。しかし、待ち人来ず。
が、長居スタジアムにいた団体から、どうしても連絡がとれないとの報告が。後で分かったことですが、ミャンマー大使館員が試合終了後のシャワー室のところで待ち伏せ、確保したよう。民政のときに日本に来た大使館員でしょうが仕事のうちか。森山議員の「心して」は、日本の国会議員の事務所にかくまえば、大使館が手を出せないとの判断から。
団体の労で、関西空港行きより手前で、日本に残れることになり、現在は3部リーグのチームの配慮も兼ねあわせての練習生として就労ビザでがんばっています。森山さんもこんなことして一票もならないのにね。また、宮崎個人はこの4年間「議員と配偶者と扶養と思われる親」の経済的だらしなさにうんざりしていましたが、20年以上知っているから安心するだけですが、森山百恵夫人の「命がけ」。業務命令立候補で大阪府議に出たときもそれなりに楽しんでいたようです。「大変だ、大変だ」と強調する候補者配偶者も多いのですが、それなりに経済的に安定していることが知られた私にとっても、森山夫妻は一番フラットに接することができて安心感があります。
選挙事務所内では「また北側さんとの一騎打ちか、もう慣れた」という雰囲気ですが、12年ぶり2回目の小選挙区当選が射程に入りつつ、あと6日間の選挙戦を走りきることになりそうです。
[写真]大阪を取材する筆者、同。
以上です。