[写真]民主党幹事長の岡田克也・衆議院議員の公設秘書、金指良樹さん=岡田かつやホームページ
民主党の岡田克也幹事長は24日夕の定例記者会見で、冒頭、「ちょっと時間に遅れてきて申し訳ない」とし、「私の金指良樹秘書の永年勤続表彰があったもので、それに同席していました。20年間の長きにわたって、私を支えてくれたということで、改めて感謝したいと思います。あっという間に20年も経ったな。彼にとっては私の事務所で最愛の伴侶も得たわけですから、(人生の)悪い選択ではなかったのじゃないかなと思います」と語りました。通常国会召集日の2011年1月24日、横路孝弘議長は、18人の秘書を、議長サロンで表彰しました。岡田さんは裏方さんへの思いやりはあるのですが、照れ屋でそれを表現するのが苦手。公式の定例記者会見で、「遅れてきた理由」として秘書をたたえるのは異例のことです。
2011年1月24日の岡田克也幹事長の定例記者会見(ビデオ)
岡田事務所によると、金指良樹秘書は、1964年(昭和39年)7月、三重県四日市生まれ。東京外国語大学外国語学部アラビア語学科在学中に、外務省のプログラムで湾岸戦争直前のクウェートに2年間滞在し、「母国の政治」にめざめました。復学後、故郷で出馬準備中の「岡田かつや後援会事務所」の門をたたき、アルバイトに。1990年の第39回総選挙で、5人区で、その時点で6位なのに、NHKの当確が出るという劇的な初当選の歓喜の輪に。そのまま、岡田さんの私設秘書になり、1年後には、公設秘書に。鳴く子も黙る自民党経世会の秘書会から、新生党、新進党、国民の声、民政党、民主党と晴れた日(1993年夏、2009年夏)も、雨の日(1997年12月27日、2005年9月11日)も付き従い、20年。いわゆる「うちのオヤジ(代議士)の出世すごろく」とはまったく違う、20年。変わらぬのは「政権交代ある政治」の一つの志だけ。まさに歴史の証人。
[画像]21年前、初当選直後の岡田克也さん(フジテレビさん映像から)
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[画像]岡田克也さんが活躍できるのは、いつも金指秘書らスタッフの支えがある。
2009年政権交代で15年しぶりに与党になったときには、年少で東大法学部卒の本庄知史・政策秘書が岡田さんと外務省に行き、外務大臣秘書官に。金指さんは国会事務所の留守を守りました。一時期、より給与の高い政策秘書に昇格していましたが、岡田外相が菅直人総理から説得され、「天命だ」と幹事長を受けると、金指秘書は、公設第2秘書に戻り、本庄君が政策秘書に返りました。この辺もスムーズに淡々としており、岡田事務所のガバナンスの高さを感じます。岡田さんを「面倒見が悪い」「融通が利かない」と批判する国会議員がいますが、その国会議員は政治に何を求めているんだろうな、と疑問を感じます。
志がぶれない岡田さん。ときに厳しく感じられるでしょう。やたら出入りの激しい秘書業界で、初当選前から仕える秘書がいるところにその人徳を感じます。第45回衆院選後、かつての自民党経世会の仲間の事務所前が引っ越しの段ボールが山積みになっているのを見て、「金指さんは、良い代議士を選んで良かったですね」と言うと、「いや、それはたまたまですよ」。岡田幹事長も「そう悪い選択肢でもなかったのではないか」と照れながらも、ニコニコ生放送の中継入りの記者会見で、フルネームで言及しましたので、党本部ホームページにも記録が残ります。貴重な歴史の証人の名前を表に刻みました。三重事務所では、与党になったとたんに、秘書が担当地域を総入れ替えになり、ブーブー言っていたようですが、翌年2010年には国政報告会のノルマを必死にこなし、一時苦戦した、芝博一さんを意外と楽な成績で当選させました。その辺の人間の機微というものを、岡田克也は意外と分かっている。田中角栄さんのようにはできないけど、岡田さんを鈍感な人だとは、思わない方がいい。芝さんは今度の内閣改造で、首相補佐官(党本部幹事長総括副幹事長兼務)として岡田さんらより一足早く、官邸入りしました。報道によると、芝さんはこの前日にお父様を亡くされたそうで、晴れ姿を見せられなかったのが心残りかもしれません。
[写真]官邸入りした芝博一・首相補佐官、左は菅総理
(http://www.kantei.go.jp/jp/kan/actions/201101/18fukudaijin.html)
先日、1月9日放送のフジ「新報道2001」では、岡田さんの秘書出身で、今は三重県議会の議長になっている三谷哲央議長の岡田評が報道されました。民主党系会派が県議会の最大会派なのは、3つだけですから、元秘書が現職の県会議長というのは、岡田さんだけでしょう。小沢秘書軍団のように住み込みではなく、人数も最小限ですが、岡田秘書軍団もなかなかやります。
[画像]三谷哲央・三重県議会議長=三重県議会ネット中継から(左)、1月9日放送のフジ「新報道2001」=TV映像からキャプチャ
岡田克也さんの秘書出身で、現在は三重県会議長の三谷哲央さんのブログ
民主党の各議員事務所は、与党になって仕事量は倍増。でも、どこも秘書の数は増えていない。景気低迷、歳出下ブレ、財政再建の下で与党に「うまみ」などありません! 昨年夏の議員会館の引っ越しは、国会議員よりも、むしろ、秘書にとってオフィス環境の改善になりました。とはいえ、これからも優秀な人材をつなぎとめるのは、難しい。「秘書給与プール制」や「公設秘書5人制」といった案がよく出てきますが、面倒なことになりかねないので、あまり賛同できません。私は、まずは、衆議院解散時に、2ヶ月分の歳費を前払いするという環境改善が必要だと思います。今のように人材の出入りが激しい状態は、国益を損ねます。消費増税に向けて、国会議員が身を切るのは当然ですが、秘書の給与改善は強く望みますし、是非世論も「お手盛り」批判はしないでご理解いただきたい。
意外に思われるでしょうが、小沢さんの「チュリス」、鳩山由紀夫さんの「十全」などと違って、岡田さんは議員会館外の事務所(“ソト事務所”)は持っていません。また、三重3区でも一つしか事務所はありません。贅沢を嫌うとともに、情報の共有が大事だと考えているからでしょう。三重3区もクルマで出かけやすいよう地の利を考えて、四日市ではなく、川越町に置いているので、「四日市事務所」ではなく、「三重事務所」という呼び方をしています。
最近ではジョギングを楽しむ金指さん。「今後の夢は何ですか?」との問いに、「支えることですよ!」。まっすぐにひたむきに、菅総理(代表)を支える代議士(岡田さん)に秘書(金指さん)も似てくるんだなあと思いました。岡田さんは、金指さんだけでなく、他の秘書にも、党職員にも、SPさんにも、口にしないけど、感謝の念を持っていると思いますよ(^_^)v