龍馬十景 ⑧ 京都・・・龍馬の五つの顔
根木 勢介
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/5e/bfe571cdf2789cba4c3add70c49b865a.jpg)
「海援隊の性格は多角的で、倒幕結社、私設海軍、航海学校、海運業務、内外貿易という五つの顔があり、
その五つの顔を、竜馬が一つにまとめて統率、竜馬にもこの五つの顔があった、・・・・・・・竜馬にとっては、ときに革命は片手間の仕事であった。」
司馬遼太郎さんは、「竜馬がゆく」でこのように書いている。
さて、龍馬は、この五つの顔により、反幕側だけでなく幕府側にも情報源をもち、幕末当時最大の情報収集家になった。
龍馬が、その情報収集力により時代の先を読めたのも、日本の政体構想を持ち得たのも、ある意味当然のことかも知れない。
高知県では、今土佐二十四万石博が開催されているが、高知城の天守閣から四方を眺めていると、奇妙なことに気がつく。
幕末に活躍する志士やその後の自由民権運動の中心活動家が、西側に当たる龍馬生誕地周辺に誕生し、密集していることがわかる。
また、龍馬につながる家系にもだが、お城の西側に、キリスト教信者になった人が多い。 龍馬が、キリスト教をどのように考えていたかについては、佐々木三四郎日記にあるようだが、興味深い。
「アメリカでは大統領が下女の給料の心配をするという。 三百年、徳川将軍はそういうことをしたか。 この一事だけでも幕府は倒さねばならない。」と龍馬は考えており、その発言が土佐に伝わり、土佐の青年が奮起したといわれる。
土佐にあだたぬ男(武市半平太の言)龍馬が、本当にやりたかったことは、世界の海援隊だったのか、考えてみたい。
龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.163 より転載
根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ
坂本龍馬ファンクラブ
根木 勢介
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/5e/bfe571cdf2789cba4c3add70c49b865a.jpg)
「海援隊の性格は多角的で、倒幕結社、私設海軍、航海学校、海運業務、内外貿易という五つの顔があり、
その五つの顔を、竜馬が一つにまとめて統率、竜馬にもこの五つの顔があった、・・・・・・・竜馬にとっては、ときに革命は片手間の仕事であった。」
司馬遼太郎さんは、「竜馬がゆく」でこのように書いている。
さて、龍馬は、この五つの顔により、反幕側だけでなく幕府側にも情報源をもち、幕末当時最大の情報収集家になった。
龍馬が、その情報収集力により時代の先を読めたのも、日本の政体構想を持ち得たのも、ある意味当然のことかも知れない。
高知県では、今土佐二十四万石博が開催されているが、高知城の天守閣から四方を眺めていると、奇妙なことに気がつく。
幕末に活躍する志士やその後の自由民権運動の中心活動家が、西側に当たる龍馬生誕地周辺に誕生し、密集していることがわかる。
また、龍馬につながる家系にもだが、お城の西側に、キリスト教信者になった人が多い。 龍馬が、キリスト教をどのように考えていたかについては、佐々木三四郎日記にあるようだが、興味深い。
「アメリカでは大統領が下女の給料の心配をするという。 三百年、徳川将軍はそういうことをしたか。 この一事だけでも幕府は倒さねばならない。」と龍馬は考えており、その発言が土佐に伝わり、土佐の青年が奮起したといわれる。
土佐にあだたぬ男(武市半平太の言)龍馬が、本当にやりたかったことは、世界の海援隊だったのか、考えてみたい。
龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.163 より転載
根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ
坂本龍馬ファンクラブ
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます