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高知市春野町森山のコスモス、今見ごろ!(その2)

2010-10-29 | 春野ファンクラブ
昨日、高知市春野町森山のコスモスを見に行きました。

花は、昨年にも増してきれいに咲いていました。

会場では、あったかいツガニソーメンと、お米がすごくおいしかったバラ寿司などを食べながら、ゆっくりとコスモスの花を楽しみました。

場所は、34番札所の種間寺のすぐ前の道路を西へ500メートルくらい行ったところです。















ヤギにコスモスをやらないでください!の看板がありました。・・・コスモスが虫に食われているのを、はじめてみました。



HN:花を召しませ

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高知市春野町森山のコスモス、今見ごろ!(その1)

2010-10-29 | 春野ファンクラブ
昨日、高知市春野町森山のコスモスを見に行きました。

花は、昨年にも増してきれいに咲いていました。

会場では、あったかいツガニソーメンと、お米がすごくおいしかったバラ寿司などを食べながら、ゆっくりとコスモスの花を楽しみました。

場所は、34番札所の種間寺のすぐ前の道路を西へ500メートルくらい行ったところです。












HN:花を召しませ

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・8 愛馬の碑

2010-10-29 | 長浜地域の情報
長宗我部で、長浜まちあるき・・・8 愛馬の碑


9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像(初陣の像)

長宗我部で、長浜まちあるき・・・2 若宮八幡宮

長宗我部で、長浜まちあるき・・・3 戸の本古戦場跡

長宗我部で、長浜まちあるき・・・4 雪渓寺信親公墓

長宗我部で、長浜まちあるき・・・5 秦神社

長宗我部で、長浜まちあるき・・・6 鶴田塾跡

長宗我部で、長浜まちあるき・・・7 元親公墓



第2回 土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く

平成22年10月16日(土)午後1時30分集合

集合場所 若宮八幡宮元親公初陣の像前広場

参加申し込み先  氏名・連絡先を記入し、前日までにFAX 088-842-1025 に

参加費 無料  募集人員 30人

連絡問い合わせ先  土佐の鎌倉長浜を歩く会 武田末男 携帯 090-6283-4217



⑦元親公墓からの階段を降りて、そのまま150メートルほど南に来ると、大きなエノキの下に ⑧ 愛馬の碑 がありました。






高知市HP: 愛馬の塚

長宗我部元親が秀吉から拝領した『内記黒(ないきあお)』の墓であると伝えられている。
『土佐物語』によると、戸次川合戦のとき、四国勢は作戦の失敗から、薩摩勢の猛攻により指揮系統は分断され、乱戦の中で信親の生死も分からず、主従わずか21騎となった元親は、武運もこれまでと馬を捨てて戦い、敵陣に斬り込もうとしていた。

これを見て、家来の一人が走りよっておしとどめ、自分の馬に乗せようとしたところ、奇跡的にも戦場から内記黒がかけてきたので、家来は「これぞ家運の尽きぬしるし」と大いに喜び、元親を乗せて敵中を突破し、府内に逃れることが出来た」と記され、内記黒が元親の命を救ったという逸話が残っている。



土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)

⑧ 愛馬の碑

この碑は長宗我部元親が秀吉より拝領した内記黒の墓と伝えられている。戸次川の戦いのおり、元親の命を救った愛馬で有る。

元親が乱戦中に主従わずか21騎になり、武運もこれまでと馬を捨て、敵陣に切り込もうとした時、奇跡的に戦場に内記黒が駆けてき、元親を乗せ敵中突破し府内(大分市)に逃げることが出来たと土佐物語に記されている。

元来、土佐駒は小さく四尺一寸に満たないが内記黒は四尺五寸の大駒である。



⑧ 愛馬の碑 から ① 元親公銅像 までは、少し距離がありました。

⑦元親公の墓がある小高い山を、右手に見ながら、一路 ① 元親公銅像まで戻ってきました。






HN:サカチャン

長宗我部ツアー③ 秦神社で供養祭・神事

長宗我部で、長浜まちあるき に関するページ

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・7 元親公墓

2010-10-29 | 高知市南ファンクラブ
長宗我部で、長浜まちあるき・・・7 元親公墓


9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像(初陣の像)

長宗我部で、長浜まちあるき・・・2 若宮八幡宮

長宗我部で、長浜まちあるき・・・3 戸の本古戦場跡

長宗我部で、長浜まちあるき・・・4 雪渓寺信親公墓

長宗我部で、長浜まちあるき・・・5 秦神社

長宗我部で、長浜まちあるき・・・6 鶴田塾跡



第2回 土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く

平成22年10月16日(土)午後1時30分集合

集合場所 若宮八幡宮元親公初陣の像前広場

参加申し込み先  氏名・連絡先を記入し、前日までにFAX 088-842-1025 に

参加費 無料  募集人員 30人

連絡問い合わせ先  土佐の鎌倉長浜を歩く会 武田末男 携帯 090-6283-4217



⑥ 鶴田塾跡から ⑦元親公墓までは、距離もあり、街中の細い路地を通ったりするので、ガイドの方についていかなくてはいけません。



案内標識板

長宗我部元親は、天文8年(1539)岡豊城に生まれ、戸の本の初陣以後次々と宿敵を降し、天正3年(1575)には土佐を統一、天正13年(1585)春には遂に四国全土を制圧するも秀吉の南征にあい、同年夏にはその軍門に降り、土佐一国に減封されました。
 元親は武略家としてのほか教養もあり、文化人としても評価が高く、内政面でも立法家として「長宗我部氏掟書」の制定や優れた検地記録である「長宗我部地検長」の作成など、数々の業績を残しています。
 慶長4年(1599)5月19日、伏見で病没、享年61、法号雪蹊恕三、火化の後遺骨は土佐に送られ、この天甫寺山に葬られました。この墓の形式を宝篋院塔といいます。
 今一代の英傑の眠る静寂のこの地にあって、瞬時の光芒を放ち、やがて歴史上から消え失せた長宗我部一族を想うとき、その哀惜の念止み難いものがあります。



長宗我部元親公墓

さて、次は土佐の英雄、元親公の墓所へ。
50人近い方が参列しました。
元親公の墓所はそんな大きくなく、山の中腹にあるので
こんなに大勢乗れるのかしらという不安。







この画像は、前の時のものです。

11月23日長宗我部ツアー①若宮八幡宮・長宗我部元親公墓碑


土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)



⑦ 元親公墓

長宗我部元親の墓:天甫寺山中腹に眠る。玉垣に囲まれた宝鏡印塔である。

永禄三年の初陣より、十五年掛け土佐を統一し、続いて四国制覇の完成間際、豊臣秀吉の侵攻を受け、秀吉に降り、土佐一国の主になっている。

居城は岡豊城、大高坂城、浦戸城と変わり、小田原攻めや二度に渡る朝鮮の役を戦っている。

慶長五年京都伏見で没し波乱万丈の六十一歳の生涯を閉じている。遺体は京都天竜寺で荼毘ふされ,土佐に帰り四男盛親の手で葬られ,法名は雪蹊怒三大禅定門。



HN:サカチャン

長宗我部ツアー③ 秦神社で供養祭・神事

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・6 鶴田塾跡

2010-10-29 | 高知市南ファンクラブ
長宗我部で、長浜まちあるき・・・6 鶴田塾跡

9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像(初陣の像)

長宗我部で、長浜まちあるき・・・2 若宮八幡宮

長宗我部で、長浜まちあるき・・・3 戸の本古戦場跡

長宗我部で、長浜まちあるき・・・4 雪渓寺信親公墓

長宗我部で、長浜まちあるき・・・5 秦神社



第2回 土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く

平成22年10月16日(土)午後1時30分集合

集合場所 若宮八幡宮元親公初陣の像前広場

参加申し込み先  氏名・連絡先を記入し、前日までにFAX 088-842-1025 に

参加費 無料  募集人員 30人

連絡問い合わせ先  土佐の鎌倉長浜を歩く会 武田末男 携帯 090-6283-4217



⑤ 秦神社から、⑥ 鶴田塾までは、長浜の街中を歩きます。車に用心しながらゆっくりと歩きました。






南国土佐へきてみいや:鶴田塾(少林塾)跡 - 岩崎弥太郎の人生を変えた
鶴田塾は、吉田東洋が蟄居中に開いた塾ながです。

蟄居しちょった理由は、吉田東洋が安政元年に江戸に出府中の折、山内家の親戚でもあった旗本・松下嘉兵衛に無礼を働いたと言う事なが。

この鶴田塾の門下生には後藤象二郎や福岡孝弟、間崎哲馬や小笠原謙吉などが居ったけんど、岩崎弥太郎もその一人ながです。




鶴田塾跡




土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)



⑥ 鶴田塾

鶴田塾は少林塾ともいい吉田東洋が謹慎中に人材育成を図り開いたものである。

嘉永七年、鶴田塾で山内容堂が親戚で旗本の松下を招き酒宴を開いた時、松下は接待役の東洋の頭を酔って殴り、怒った東洋は松下を縁から突き落としている。容堂はその無礼を怒ったが旗本であり後難を心配し、東洋を解職し土佐に返したものである。

東洋は四年間この地で過ごす間、塾で明治政府の参議に成る後籐象二郎や、福岡孝弟、岩崎弥太郎達を育てたが、文久五年に藩政に復帰している。その後、公武合体路線を進め、土佐勤皇党と対立し帯屋町の自宅近くで暗殺されている。48歳。





HN:サカチャン

長宗我部ツアー③ 秦神社で供養祭・神事

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・5 秦神社

2010-10-05 | 長浜地域の情報
長宗我部で、長浜まちあるき・・・5 秦神社

9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像(初陣の像)

長宗我部で、長浜まちあるき・・・2 若宮八幡宮

長宗我部で、長浜まちあるき・・・3 戸の本古戦場跡

長宗我部で、長浜まちあるき・・・4 雪渓寺信親公墓



第2回 土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く

平成22年10月16日(土)午後1時30分集合

集合場所 若宮八幡宮元親公初陣の像前広場

参加申し込み先  氏名・連絡先を記入し、前日までにFAX 088-842-1025 に

参加費 無料  募集人員 30人

連絡問い合わせ先  土佐の鎌倉長浜を歩く会 武田末男 携帯 090-6283-4217



参加者が多いので、2班に別れて案内をしていただきました。

先の班とすれ違いです。秦神社では冷たいお茶をサービスしていただき、ホット一息着く事ができました。







参考:長宗我部ツアー③ 秦神社で供養祭・神事

長宗我部顕彰会の代表や宅間歴史民俗資料館長に続き、長宗我部最高委員会や長宗我部ファンクラブの代表も玉串奉てんをしました。




土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)

⑤ 秦神社

秦神社は明治三年廃仏稀釈により廃寺になった雪蹊寺に安置していた元親の木像や、戸次川合戦の戦死者の霊板を御神体として、親房(元親の弟、島弥九朗)の子孫にあたる島義親らにより創建された。

社宝の長宗我部元親公画像は国の重要文化財である。

鳥居横の長宗我部親の記念碑には、昭和三年昭和天皇即位の際、元親公に従三位が追贈され、これを一族代表して請けている。

親は島義親の甥。秦の名は長宗曽我部氏の先祖が秦氏であるためといわれている。



HN:サカチャン

長宗我部ツアー③ 秦神社で供養祭・神事

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・4 雪渓寺信親公墓

2010-10-05 | 長浜地域の情報
長宗我部で、長浜まちあるき・・・4 雪渓寺信親公墓 

9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像(初陣の像)

長宗我部で、長浜まちあるき・・・2 若宮八幡宮

長宗我部で、長浜まちあるき・・・3 戸の本古戦場跡


第2回 土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く

平成22年10月16日(土)午後1時30分集合

集合場所 若宮八幡宮元親公初陣の像前広場

参加申し込み先  氏名・連絡先を記入し、前日までにFAX 088-842-1025 に

参加費 無料  募集人員 30人

連絡問い合わせ先  土佐の鎌倉長浜を歩く会 武田末男 携帯 090-6283-4217













土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)

④雪蹊寺・信親公墓所

雪蹊寺は弘法大師ゆかりの寺で弘仁年間(810~822)に開基され四国霊場三十三番札所である。

当初は保寿山高福寺で本尊は薬師如来で真言宗であったが、長宗我部元親が浦戸城に移り、菩提寺とし、臨済宗に改め、慶長四年元親没するとその法名「雪蹊怒三」から高福山雪蹊寺としている。

霊宝殿にある、鎌倉時代の仏師運慶、湛慶作の薬師如来、日光、月光菩薩、毘沙門天、吉祥天女、善膩師童子、十二神将等、十六体の仏像は国の重要文化財に指定され、県内重文の五分の一を占めている。

また、龍馬の土佐での剣の師、日根野道場の師範代土居楠五郎保の墓石や玄峰老師の像がある。老師の全生庵(東京)には吉田茂元首相も師事し、終戦時には天皇が詔勅で述べた「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」の文言を時の首相に送っている。

なお、新憲法の象徴天皇制に対しては「天皇は空に輝く象徴のようなものだ」と語っている。
 

長宗我部信親墓所

永禄八年(1565)元親の長男として誕生。幼名弥三郎、天正三年織田信長を烏帽子親とし、「信」の一字をもらい信親。

秀吉の命を受け、豊後(大分)に元親と共に出陣。戸次川において薩摩軍の釣り野伏せの策に(中国三国時代、蜀の軍師諸葛孔明が編み出した戦法、おとり部隊で敵を誘い込み包囲殲滅する)はまり、に土佐軍将兵七百名と共に戦死22歳。

遺骸は現地で荼毘にふされた。この時遺骸と共に持ち帰ったといはれる豊後梅の木が、今も毎年花を咲かせている。


HN:サカチャン

高知市長浜の第三十三番 高福山 雪蹊寺(せっけいじ) に参拝しました

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長宗我部で、長浜まちあるき・・・3 戸の本古戦場跡

2010-10-02 | 長浜地域の情報
長宗我部で、長浜まちあるき・・・3 戸の本古戦場跡

9月2日(木)、午後1時半に若宮八幡宮の元親公銅像前に集合して、

約2.5キロメートルのコース8箇所を、地元のガイド武田末男さん他の説明を受けながら、約2時間半かけて一周しました。

万歩計で計っていたご婦人の二人とも、7,500歩でしたと教えてくださいました。

長宗我部で、長浜まちあるき・・・1 元親公銅像(初陣の像)

長宗我部で、長浜まちあるき・・・2 若宮八幡宮



第2回 土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く

平成22年10月16日(土)午後1時30分集合

集合場所 若宮八幡宮元親公初陣の像前広場

参加申し込み先  氏名・連絡先を記入し、前日までにFAX 088-842-1025 に

参加費 無料  募集人員 30人

連絡問い合わせ先  土佐の鎌倉長浜を歩く会 武田末男 携帯 090-6283-4217



②若宮八幡宮から、③戸の本古戦場跡へは少し距離があるので、時間の都合上周辺からの説明になりました。







③戸の本古戦場跡へは少し距離があるので、時間の都合上、橋の上から遠望しながらの説明になりました。

別の日に、 戸の本古戦場跡へ出向いて来ましたのでご紹介します。

川の画面左側の住宅地内にある公園の中に、記念碑はありました。







土佐の鎌倉長浜と長宗我部史跡を歩く 資料

(地元のガイド武田末男さん作成)

③ 戸の本古戦場址

戸ノ本古戦場跡は永禄三年五月(1560)元親初陣の地で、若宮八幡宮馬場で一千の軍勢を揃え本山軍二千五百と戦いこれを打ち破っている。 

この年、中央では、織田信長が、今川義元を桶狭間で打ち破り、翌年は川中島で謙信、信玄四度目の戦いが起きているがこの後、元親は土佐統一、四国制覇へ突き進むことになる。

*「古墳也コボツナカレ」の碑が建っている。


HN:サカチャン

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