9年目を迎えた デコの里のあゆみ
~誰が! 今のデコの里を想像することができたか~
1、デコの里開設の動機と創設期
(1)小さいながらも、納得のいく施設を!
私は長年医療・福祉の世界を歩んできました。特に特別養護老人ホームの痴呆専門棟での仕事は私の人生観を大きく変える程の衝撃の日々でした。老人ホームの話をすると本題からそれてきますので省略しますが、重度の寝たきりの方や認知症の方と接していると、それなりにやりがいを感じる時もあります。しかしやっぱり対比するわけではありませんが、元気でいることの大切さ!尊さをいっそう感じてしまいます。ですから私の頭の中から『元気・健康』という言葉は事の外切り離せなかったと思います。
特に、私の福祉の仕事は途中から建物を立て、そしてそれを軌道に乗せると言うハード面の仕事ばかりでした。無から有を生むという仕事は、想像を絶する程しんどい仕事ですが、それだけに全てに愛着、愛情が沸いてきます。ですから施設の運営のことで、オーナーと衝突することも度々ありました。やはり最後は小さいながらも、自分がオーナーとして自分に納得のいく施設を造ってみたいとそう思うようになり、これまでの経験を集大成したのが、このデコの里でした。
訪問記その2 お年寄りの生きがいづくり
(2)利用者の一言で勇気百倍
たまたま友人を介して春野町役場を紹介していただき、春野町の肝入りでこの事業を始めることができました。知人を頼って何とか仲間を誘い込み、どうにかNPO法人を平成13年10月に設立することができました。その後17地区ある町内の公民館に出向いては、設立の趣旨を説明して回りましたが、反応はいま一つでした。準備期間もあっという間に過ぎ、平成13年12月10日『宅老所デコの里』を開設しました。自分に蓄えがあって始めた事業ではないので、利用者も1日6~7名と一桁の日々が6ヶ月程続き、ご飯も喉を通らなくなり、何度やめようと思ったかしれません。しかしある雨の日ずぶぬれになって黙々と送迎している私の後姿を利用者がみて、降り際に一言『所長さん、がんばってくださいね!頼りにしていますから!』とねぎらいの言葉をかけてくれました。この一言で勇気百倍もらいました。ほんとにこの頃は死に物狂いでしたからね!利用者に何か私の熱い思いが伝わったかも知れません。
訪問記その1 元気になって要介護認定取りやめも
(3)人の優しさに支えられながら拡がった各種教室
各種教室の数も除々に増え今では17教室を運営する迄になりましたが、最初のキッカケをつくってくれたのが、現在もピアノ教室の講師をしていただいている藤原佐和子先生でした。内の谷公民館でデコの里開設の主旨をPRしたのを憶えていただいていたのか後日『ピアノ教室をボランティアでやらしてください。ピアノは寄贈しますので!』というお電話をいただきました。開設準備をしている時期でしたので、とても勇気づけられました。今でもよう忘れません。その後現在押し絵教室の講師をしている土居香代さんからも、"絵手紙教室を開講して欲しい"と要請を受け、直ぐに絵手紙南国土佐の会に連絡した所、早速責任者がデコの里を見学に来てくれ講師派遣を承諾していただき、現在の朝日美恵先生を派遣していただく事になりました。この事に感動した土居香代さんは、早速高知新聞『声の広場』に投稿していただき、デコの里の輪を拡げるキッカケをつくっていただきました。
又色鉛筆画教室講師の馬場桂子さんには、縫物教室や皆で踊ろう会の講師をご紹介いただいたり、持ち前の才能を発揮して各種行事のポスターや看板を本職が描くように書いていただいたりして、デコの里を縁の下で支えていただきました。
この様に各種教室の講師は、利用者の中で趣味をもっている方にお願いしたり、利用者や知人にご紹介いただいたりした先生方ばかりです。
高知市春野デコの里 さんの記事
春野デコの里(介護予防通所施設) に関するページ
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~誰が! 今のデコの里を想像することができたか~
1、デコの里開設の動機と創設期
(1)小さいながらも、納得のいく施設を!
私は長年医療・福祉の世界を歩んできました。特に特別養護老人ホームの痴呆専門棟での仕事は私の人生観を大きく変える程の衝撃の日々でした。老人ホームの話をすると本題からそれてきますので省略しますが、重度の寝たきりの方や認知症の方と接していると、それなりにやりがいを感じる時もあります。しかしやっぱり対比するわけではありませんが、元気でいることの大切さ!尊さをいっそう感じてしまいます。ですから私の頭の中から『元気・健康』という言葉は事の外切り離せなかったと思います。
特に、私の福祉の仕事は途中から建物を立て、そしてそれを軌道に乗せると言うハード面の仕事ばかりでした。無から有を生むという仕事は、想像を絶する程しんどい仕事ですが、それだけに全てに愛着、愛情が沸いてきます。ですから施設の運営のことで、オーナーと衝突することも度々ありました。やはり最後は小さいながらも、自分がオーナーとして自分に納得のいく施設を造ってみたいとそう思うようになり、これまでの経験を集大成したのが、このデコの里でした。
訪問記その2 お年寄りの生きがいづくり
(2)利用者の一言で勇気百倍
たまたま友人を介して春野町役場を紹介していただき、春野町の肝入りでこの事業を始めることができました。知人を頼って何とか仲間を誘い込み、どうにかNPO法人を平成13年10月に設立することができました。その後17地区ある町内の公民館に出向いては、設立の趣旨を説明して回りましたが、反応はいま一つでした。準備期間もあっという間に過ぎ、平成13年12月10日『宅老所デコの里』を開設しました。自分に蓄えがあって始めた事業ではないので、利用者も1日6~7名と一桁の日々が6ヶ月程続き、ご飯も喉を通らなくなり、何度やめようと思ったかしれません。しかしある雨の日ずぶぬれになって黙々と送迎している私の後姿を利用者がみて、降り際に一言『所長さん、がんばってくださいね!頼りにしていますから!』とねぎらいの言葉をかけてくれました。この一言で勇気百倍もらいました。ほんとにこの頃は死に物狂いでしたからね!利用者に何か私の熱い思いが伝わったかも知れません。
訪問記その1 元気になって要介護認定取りやめも
(3)人の優しさに支えられながら拡がった各種教室
各種教室の数も除々に増え今では17教室を運営する迄になりましたが、最初のキッカケをつくってくれたのが、現在もピアノ教室の講師をしていただいている藤原佐和子先生でした。内の谷公民館でデコの里開設の主旨をPRしたのを憶えていただいていたのか後日『ピアノ教室をボランティアでやらしてください。ピアノは寄贈しますので!』というお電話をいただきました。開設準備をしている時期でしたので、とても勇気づけられました。今でもよう忘れません。その後現在押し絵教室の講師をしている土居香代さんからも、"絵手紙教室を開講して欲しい"と要請を受け、直ぐに絵手紙南国土佐の会に連絡した所、早速責任者がデコの里を見学に来てくれ講師派遣を承諾していただき、現在の朝日美恵先生を派遣していただく事になりました。この事に感動した土居香代さんは、早速高知新聞『声の広場』に投稿していただき、デコの里の輪を拡げるキッカケをつくっていただきました。
又色鉛筆画教室講師の馬場桂子さんには、縫物教室や皆で踊ろう会の講師をご紹介いただいたり、持ち前の才能を発揮して各種行事のポスターや看板を本職が描くように書いていただいたりして、デコの里を縁の下で支えていただきました。
この様に各種教室の講師は、利用者の中で趣味をもっている方にお願いしたり、利用者や知人にご紹介いただいたりした先生方ばかりです。
高知市春野デコの里 さんの記事
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