Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

吉田麻也の記憶

2020-04-01 22:27:18 | ワールドサッカー
日本代表のキャプテン、吉田麻也選手の記憶を書きます。吉田は長崎県の出身ですが、名古屋のユースに入るために家族ごと名古屋に移住するという家族のサポートを受けて、期待通りに名古屋のトップチームに昇格します。日本人では珍しい、パワーのあるCBということで期待は大きく、入団3年目に21歳の若さでオランダのVVVフェンロからオファーを受けて完全移籍します。

吉田以前にも、海外からオファーが来る選手はいましたが、大抵は日本代表での活躍が海外移籍の必須条件でした。吉田は、海外クラブが「青田買い」を始めるきっかけになった選手です。今となっては、U-23代表クラスの海外移籍は当たり前になっており、久保建英のように18歳で移籍する選手もいるなど、移籍の低年齢化は相当です。

もっとも、フェンロでは順調な時ばかりではありませんでした。移籍初年度は骨折の影響で試合に出場できず、フェンロが残留争いをしたことで苦しいシーズンを過ごしました。もっとも、この時期に日本代表に入り、2011年のアジアカップ優勝に貢献するなど、代表ではあまりいないパワー系CBとして大きな期待を受けました。

イングランドのサウサンプトンに移籍したのは2012年です。当時、マンUにいた香川真司とプレミアリーグ初の「日本人対決」を実現させるなど、活躍した時期もありました。しかし、プレミアリーグのチームは概してお金持ちで、吉田が活躍した次のシーズンに代表クラスのCBを補強されて苦しいシーズンを過ごすこともありました。現リバプールのクロアチア代表、ロブレンは吉田からポジションを奪ったCBです。

代表ではアジアの予選で、相手のパワー系FWと対峙する役割でしたが、セットプレーでゴール前に上がると得点の期待も大きい選手です。2011年のW杯アジア3次予選の初戦、共和国戦でCKからロスタイムに決勝弾を入れてチームを勝利に導いたこともあります。今は、長年キャプテンを務めてきた長谷部からキャプテンマークを譲り受け、次の世代のキャプテンです。

クラブでも、サウサンプトンからイタリアのサンプドリアに移籍して、新しい環境で再出発を図った直後に、新型コロナウイルスの影響でセリエAが延期になる不運です。それでも、彼のことだから出られる状況になったらいい準備をしてくれるでしょう。そう思って、サンプドリアでの映像を見ることも楽しみにしています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ミツバツツジ | トップ | オオイヌノフグリ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ワールドサッカー」カテゴリの最新記事