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10年ぶりのJ1ゴール(宮沢克行)

2017-08-08 21:49:28 | 浦和レッズ
私が写真を撮るとネタになるという、いつものパターンで、試合前のハートフルクラブのブースで見かけた元浦和MF宮沢克行さん(現ハートフルクラブコーチ)の思い出です。宮沢は明治大学を卒業し、ベテランになっていた左MFベギリスタインの後継者としての期待での獲得だったと思います。その新人の年、アウェイ磐田戦でプロ初ゴールを決めています。

しかし、その年の浦和は、古株サポなら皆さんご存知の通り、J2降格という結果に終わりました。そのため、どうしても1年でのJ1復帰が至上命題になった浦和にとっては、ベギリスタインの後釜に若手を起用している余裕はなくなってしまいました。浦和は鹿島から、左MF候補として阿部敏之を獲得し、宮沢の出番は少なくなってしまいました。

浦和時代の宮沢は、一度荒川河川敷のグラウンドで見かけたこともあります。当時はレッズランドはなく、東農大の野球場の外野の芝生で練習するという厳しい環境でした。また、宮沢といえば、ファンサービス要員という印象もあります。当時、ベンチ入りの16人の当落線上にいた宮沢は、他の選手が遠征の準備を始める中、一人大原に残ってファンサービスに対応していました。

もちろん、そんな位置に甘んじているわけにはいかない宮沢は、新潟への移籍を決断します。しかし、新潟時代の宮沢は左SBでの起用が多く、守備という難しいタスクを背負わされて苦労しました。転機になったのは、4-4-2でサイドハーフを置く山形への移籍でした。ここで、最も宮沢が得意とする左MFのポジションに定着し、小林伸二監督のもと、J1昇格に貢献することになります。

小林伸二監督時代の山形は、守ってカウンターのスタイルでしたが、左MFというポジションがあることが宮沢にとって吉と出ました。その2009年にJ1でゴールを決めて、10年ぶりのJ1でのゴールという珍記録を残します。本人は「名誉な記録ではないがサポーターに捧げたい」とコメントしていた記憶です。

山形に合っていた宮沢は、35歳までプレーし、引退後は浦和に戻ってハートフルクラブのコーチになります。浦和では不遇でしたが、どこに成功のきっかけがあるかはわからないものです。今でも、山形に行けば英雄なんだろうなと想像しています。

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