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マルチェッロ・リッピの記憶

2020-04-09 22:51:18 | ワールドサッカー
まだ撮り貯めた写真はあるので、2018年の東アジアカップの中国代表監督として来日した、マルチェッロ・リッピの記憶を書きます。最近、中国代表監督は辞任しており、これが日本では見納めの写真かもしれません。リッピ監督の名前を聞いたのは、1990年代のユベントス時代のプレッシングサッカーです。それ以前は「貴婦人」と呼ばれた華麗なサッカーだったユベントスを、徹底的に走るサッカーに改造した監督です。

当時のユベントスはかなり選手にハードワークを課しており、当時選手だったデシャンは「筋肉だけで体重が3kg増えた」と当時の過酷さを語ります。あまりのハードワークぶりに、ドーピング疑惑も出たほどです。ユベントスでは欧州CLの優勝監督となり、その成功を追い風に2006年ドイツW杯ではイタリア代表を率いました。

このイタリア代表を優勝に導いたことで、リッピは世界一の監督の一人になりますが、一時「孫と釣りがしたい」と隠居生活も送りました。しかし、これほどの名監督は世間も放っておかず、中国の広州恒大からオファーを受けてACLに挑むことになります。2013年にはACLを優勝してクラブW杯にも出場します。

このときのサッカーは印象的でした。「さすがリッピ」と思うような高度な組織を期待していましたが、実際に見たのは攻めにコンカ、ムリキ、バリオスという南米の外国人3人で攻め、残り8人の中国人で守るという極端なサッカーでした。浦和と対戦した試合で彼ら3人に圧倒されたので、アジアを制するためには正解だったサッカーですが、クラブW杯で結果を出すには至りませんでした。

その後、中国リーグに高額報酬でやって来る大物監督が、このリッピのやり方を参考にして、中国リーグのチームでは同じようなサッカーを良く見ることになりました。影響を与えたという意味ではインパクトがありましたが、このやり方では中国代表の攻撃の選手が育ちにくく、中国代表を強化するという意味ではあまりいい影響ではなかった印象です。

その後は中国代表監督にもなります。もっとも、中国代表では戦術的に凝ることは難しく、選手の身体能力を生かして長身FWに放り込むサッカーだった印象です。結果も出なかったことで辞任し、71歳という年齢を考えるともう指揮を執ることはないかもしれません。それでも、これほどの名将がアジアのサッカーに関わるのですから、中国の多額の資金故に見ることができたというのも、運命の面白いところでしょう。

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