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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

1999.11.27

2023-02-09 23:00:05 | 浦和レッズ
長年サポーターをやっていると「この試合だけは忘れられない」記憶はあります。苦い記憶ですが、1999年にJ2降格が決まった、最終戦の広島戦の記憶です。当時、J1は下位2チームがJ2降格というルールで、浦和は最後の5試合を残して下から2番目の15位とかなり苦しい位置でした。そこから、14位の市原に勝利し、最下位の湘南にも勝って、90分で勝てば残留という最終戦の広島戦を迎えました。

このときは、浦和のサポーターは、優勝争いをしたときのために取っておいた、ボール紙でスタンドに色模様を作る応援をしてきました。しかし、残り5試合で何度もピンチを迎えていた浦和にとって、その5試合目の最終戦は「応援疲れ」していた様子も見えました。普段は試合中に声を出さない、バックスタンドの私も、このときだけはサポーターと一緒に声を出していました。

当時、デモス監督の起用も疑問が残るものでした。この年、13点を挙げてチームトップだった、エースストライカーの福田正博をベンチに置いたからです。代わりにスタメンだったのは、わずか2得点だった大柴でした。また、ベンチには無得点と不振のFW盛田剛平もいました。スタンドにいた私は「お願いだから盛田の出番がありませんように」と祈る思いでした。

しかし、長い時間0-0で推移したこのゲームで、デモスが大柴に代えて投入したのは、盛田でした。この試合は90分で勝てば残留決定でしたが、延長戦に持ち込まれると降格のリスクがありました。そのため、早めに動く必要はありましたが、デモスが最後の交代カードで福田正博を入れたのは、残り9分という最後の最後でした。

それでも、福田がサイドを突破して盛田に合わせたクロスもあったのですが、盛田はこれを外してしまいます。福田と盛田の位置関係が逆だったら決まったかもとの思いも持ちながら、試合はそのまま0-0が動かず、延長戦に入りました。サポーターは「どうなんだ?」と他会場の結果が気になる様子でしたが、私はFMNack5の実況を聞いて観戦していたので、延長戦になったら降格決定なのは知っていました。

その延長戦に、福田が「こんな延長戦は間違いだから早く終わらせる」とVゴールを決めて終わりました。当時、河口湖マラソンを控えていた私は、心揺れる思いのまま、河口湖まで2時間列車に揺られていました。電車が河口湖に着く頃、ようやく「こうなったら1年でJ1に戻るしかない」と気持ちが切り替わったことは、今でもよく覚えています。
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