自然と共に生きることは、誰もが同じ自然の中にいる以上、皆一緒であり、平等であるように思えますが、平等であるとは言いがたいところもありますね。
それは、砂漠であったり、水も無いようなところで生活している人から見ると平等でないと言われてしまうでしょう。
それも縁なのかも知れません。
その人の積んだ徳によって、生まれ落ちる場所もちがうのでしょう。
だからこそ、その場所の環境の差もあるように感じます。
我々が、何不自由なく過ごせる環境に感謝しなくてはなりません。食べたくても食べ物さえ作れないような環境もあります。
そこに、ナサラの技術が加わると土も出来上がり、野菜も収穫出来る様になるとは、思いますが、それも縁なのかも知れません。自然界は必要必然により、出来ています。しかし、困っている人や動物、植物がいると助けることも重要です。そして、一つのものだけ助けても助けたとは言えませんね。そこに自然の循環がなければ、いずれ耐えてしまいます。それが自然であるように思います。
人も動物も植物も全て揃って、初めて自然といえます。
人だけ助かることが、自然ではなく、不自然なことですので、片寄ったことはいずれ耐えてしまいます。如何に自然な環境に蘇らせることが出来るのかが重要であるように思います。
自然と共に生きることは、自然を壊すことなく生きることです。
自然と共に生かされていると考えるべきでしょう。
我々人間だけでは、存在しない。また植物だけでも駄目です。全ての生き物がいるからこそ成り立っています。正しく生物多様性の中にいるということですね。
四季があり、良い水もあり、穀物や野菜も育つ環境にいることに、感謝しなくてはなりません。
そして、この環境を子々孫々と受け渡さなくてはなりません。
自然と共に生かされているいじょう。