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ナサラ農法開発者の翡翠先生のブログ

農業が注目される今、本物の農業が必要です。安心安全で環境に優しい農業を推進します。美味しい・栄養価の高いものへと・・

自然と共に生きる

2010-12-08 22:23:24 | 環境

自然と共に生きることは、誰もが同じ自然の中にいる以上、皆一緒であり、平等であるように思えますが、平等であるとは言いがたいところもありますね。

それは、砂漠であったり、水も無いようなところで生活している人から見ると平等でないと言われてしまうでしょう。

それも縁なのかも知れません。

その人の積んだ徳によって、生まれ落ちる場所もちがうのでしょう。

だからこそ、その場所の環境の差もあるように感じます。

我々が、何不自由なく過ごせる環境に感謝しなくてはなりません。食べたくても食べ物さえ作れないような環境もあります。

そこに、ナサラの技術が加わると土も出来上がり、野菜も収穫出来る様になるとは、思いますが、それも縁なのかも知れません。自然界は必要必然により、出来ています。しかし、困っている人や動物、植物がいると助けることも重要です。そして、一つのものだけ助けても助けたとは言えませんね。そこに自然の循環がなければ、いずれ耐えてしまいます。それが自然であるように思います。

人も動物も植物も全て揃って、初めて自然といえます。

人だけ助かることが、自然ではなく、不自然なことですので、片寄ったことはいずれ耐えてしまいます。如何に自然な環境に蘇らせることが出来るのかが重要であるように思います。

自然と共に生きることは、自然を壊すことなく生きることです。

自然と共に生かされていると考えるべきでしょう。

我々人間だけでは、存在しない。また植物だけでも駄目です。全ての生き物がいるからこそ成り立っています。正しく生物多様性の中にいるということですね。

四季があり、良い水もあり、穀物や野菜も育つ環境にいることに、感謝しなくてはなりません。

そして、この環境を子々孫々と受け渡さなくてはなりません。

自然と共に生かされているいじょう。

 

 


空と海と山と

2010-11-11 19:31:02 | 環境
 

 学生時代は勉強をしても何か物足りない、そして何かが違っているような感じをいつも思っていました。そして、よく山に入り草や樹木などの植物と山で出遭う動物達、そして茸などを目にしては、気分よくいられました。また山から見上げる空の美しさは、なんともいえないほど美しいものであります。自由自在に姿を変える雲が大好きで、いつまで観ていても飽きることなく、よく観ていたことが多かったように思います。何も考えず、じっと空を見上げていると肩に小鳥が止まってきます。小鳥が止まると何か自分も自然の一部のように感じ、とても幸せな気分にさせてくれました。また海も好きで、海までよく通ったものです。空と海を眺めるのが趣味のようなものであり、空は春夏秋冬の違った姿を現し、海もまた、夏はとても穏やかでいて、美しい姿を現しているのに対し、冬が近付くにつれ、荒々しい姿に変化していきます。しかし、冬の荒海は、激しい姿を現しているのに何故か悲しい、寂しい姿に感じます。その寂しげな冬の海が好きで、よく一人で、寒い冬に出かけていました。夏は海水浴客で賑やかな浜辺も、冬になると全く違った光景で、誰一人いない、そんな砂浜に腰を下ろし、高い波をじっと見ているとザブ~ンという低音の音が、耳に飛び込んできます。その音が、なぜか心地よくさせる。低周波振動が体を活性させるような、そんな感じで10代のころから思っていました。

そして空と海と山が、私にいろいろな事を教えてくれました。自然の中では、教科書に無いものを沢山学び、気付きを与え、いわば自然は、私にとっての大切な教科書です。

誰にも教えてもらわなくとも自然は、沢山のことを教えてくれます。樹木の回復をさせる方法も山の木を観て、なにかその木が訴えているようで、その姿がしっかりと目に焼きついていました。今の方法が生まれたのもその木のお陰です。空と海そして山が、自然とメッセージを送ってくれているようにも感じます。

良い方法や研究は、いろいろ考えているとなかなか浮かびません。しかし、何も考えていない時に、ふと空から降りてくるような感じで、閃くことがあります。その閃きは、湧き出るというより、空から降って来る・・まだちょっと感じが違います。何か光のようなものが、頭の中に落ちてくるといった感覚でしょうか。そのような言い方の方が近いのかも知れません。

とにかく、考えるのでなく、閃くというべきでしょう。これも自然のお陰ですね。

この大地の豊かさも空と海と山のお陰です。海の水が蒸発し、雲となり、山に雨を降らせて、ミネラル豊富な水を造り上げ、伏流水となり川をつくり、また海へ返っていきます。この循環こそが、豊かな大地を造りあげますが、その中で動植物の働きがなければ、豊かな大地は生まれません。全て、必要必然により循環が行われているからであります。

この豊かな大地も今、人間という頂点に君臨するものが、汚染をさせ、次第にその汚染の範囲を広げています。しかしながら、頂点にいるからこそ、改善もできることになります。皆が自然を大切に思い、実践することにより変化していくものです。一度壊れてしまうとなかなか回復するまでに、時間がかかります。地球の寿命からすると100年や200年は、ほんの一瞬でしかありませんが、200年という年月は、人類において、孫の代でもなかなか到達できないほどの長い時間です。だからこそ壊れてしまう前に解決が必要となります。今、現在のうちに、少しでも良い環境にすることが子や孫の為になり、子々孫々と受け繋いでいかなくてはならないことです。この自然は、誰のものでもなく、勿論人間だけのものでもありません。全ての生きとし生けるものがいるからこそ、自然が保たれているからです。どんな小さな生き物にも役目があり、山には山の生物が、空には空の生物が、そして海にも海の生物が必要となるのです。全ての生きるものがいるからこそ、この自然があり、自然があるからこそ生き物が生きられる、生かされているといった方がいいのでしょうね。この美しき空と海と山は、我々が真剣に守っていかなくてはなりません。

 

 


水俣病について

2010-08-30 22:01:12 | 環境
水俣病は、熊本県水俣市の工場排水によって、汚染された魚介類の摂取による公害病とされ、新日本チッ素肥料㈱水俣工場のアセトアルデヒド製造過程で、触媒として使用した無機水銀(硫酸水銀)が排水され、植物等により有機化され、副生した有機水銀(メチル水銀)が原因と言われています。
 水俣病の発生過程は、工場排水の中に含まれるメチル水銀による環境汚染から始まり、無機質である水銀が、植物等により摂取されものが有機化され、その有機化されたメチル水銀を摂取した魚介類が体内で、溜め込んでしまい、濃縮された生物となり、その魚介類を摂取したことにより、有機水銀中毒となったものとされています。
有機水銀は、一般的に脂溶性で血液中の血球と結合し、脳・肝臓・腎臓などに蓄積されやすく、無機水銀化合物に比べても毒性が強く、アルキル水銀は特異的に中枢神経をおかすものとされています。
 被害として、1953年頃より水俣地区の漁民に原因不明の中枢神経患者が多発して「水俣奇病」として呼ばれていました。
人だけでなく、魚介類を摂取した動物にも大きく被害を与え、カラスや水鳥等の鳥類もその被害を受けました。
中枢神経患者ですから、痺れや感覚がない等の症状が出ていたことになります。
一度蓄積されるとなかなか排出されない性質を持つため、危険な公害病です。

地球上には、様々な鉱物が沢山あります。そして、バクテリアもまだまだ未知な世界と言えるでしょう。
元素を餌とするバクテリアも存在します。そして、そのバクテリアは、単一の元素のみしか摂取しません。珪素を摂取するものは、珪素のみです。また他の元素にもいえるでしょう。
で、あるならば水銀もしかり・・

水俣地区の漁場では、今は漁業がなされています。元素は無くなることはありません。しかし、今はメチル水銀の被害は無いに等しいほど減っています。
この環境の手助けをしたのもバクテリアのお陰と考えても良いと思います。
日本という季節ある風土であるからこそ、環境の復活が早いと言えるでしょう。
これが、北海道ならもっと時間がかかるでしょうね。