内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

歴史へ「なぜ」からアプローチする

2017-02-14 21:24:41 | 講義の余白から

 今日は先週木曜日以来初めての外出でした。幸いさして寒くもなく、病後の身としてはありがたい日和でした。いつもは大学まで自転車で十二三分なのですが、今日はそれより少し時間がかかるだろうと、いつもより五分ほど早めに家を出ました。やはり五日ぶりにまともに体を動かすことになるので、自転車のペダルがいつもより重く感じられ、ペダルを踏み込む脚にも最初は思うように力が入りませんでした。それでもキャンパスには数分の余裕を持って到着することができました。
 一時間のオフィス・アワーの間に、昨日の約束をキャンセルさせてもらった学生が、その学生のために私が書いた推薦状を取りに来ました。他大学への転学のために必要だからと頼まれて書いた一通でした。推薦状を書いてもらったのは生まれてこれが初めてだと嬉しそう眺め入っているのが印象的でした。
 オフィス・アワーの後、昼から午後二時までが古代史の授業でした。先週は日仏共同セミナーのために休講にしたので二週間ぶりです。学生たちには病気明けだということは一切言いませんでしたが、話していても声に力が入らず、おそらく学生たちもいつもと違うとすぐに気がついたことでしょう。結局最後まで調子が上がらず、低調な授業でした。
 今日の授業ではそれでも、普段の教科書を読み終えた後、年度初めに紹介しておいた補助教材の一つ『大学で学ぶ日本の歴史』(吉川弘文館、二〇一六年)を使って、後期に入ってから学習を開始した平安時代の歴史についての復習を少ししました。この本の特徴は、各時代の「移行期」に焦点を合わせ、その原因理由を掘り下げて説明しているところにあります。二六十頁ほどの薄い本ですが、最新の研究成果をふまえながら、詳細な通史や大学受験参考書などよりよほどすっきりと簡潔に要所が説明されています。
 例えば、第七章「平安遷都」では、なぜ七八一年に即位した桓武天皇が造都と蝦夷征伐という二大事業を同時に行おうとしたかが、次のように説明されています。

 天皇の母方の出自が重視されていた当時において、渡来系氏族出身者を母とする桓武天皇の権力基盤は脆弱だった。権力強化のために桓武天皇が行った二大事業が、新しい都の建設(造都)と東北地方の蝦夷征伐(征夷)であった。

 わずかこれだけの説明ですが、私が使っている他の教科書・参考書類には見られない記述です。しかし、この説明によって、後に国家財政を逼迫させるような大事業をなぜ二つ同時に桓武天皇が即位後すぐに敢行しようとしたのかがよりよくわかります。もちろん、例えば、『大学の日本史 教養から考える歴史へ ① 古代』(山川出版社、二〇一六年)では、その辺の事情はさらに詳しく説明されていますが(一五七―一五八頁)、こちらは全四巻ですから、規模が違います。
 日本語の勉強を兼ねるという点からも、『大学で学ぶ日本の歴史』はなかなかの好著であると私は思っています。












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