今は今、仏国の東のはずれに遙か倭国より移り住みし老ひたる大学教師ひとりあり。その師、今宵、語りて曰く。
夕食後は仕事をする気になれません。というか、その日一日を気持ちよく終えるために、夕食時にはワインを嗜むことを朝の水泳と同じくらい大切な日課(?)といたしておりますので、そのほぼ必然的な帰結として、夕食後は仕事ができないわけであります。午後六時から七時を夕食時間といたしておりますから、それ以降はほろ酔い気分を楽しむのみ、いっさい仕事はいたしません。そんなに忙しくない日は、夕食後に映画鑑賞などしてから、十一時頃就寝いたします。その場合、翌朝の起床は五時です。これは週末も同じです。
では、ものすごく忙しいときはどうするのでしょうか。午後十時前に就寝し、午前三時頃に起き出して仕事を始めます(パン職人といい勝負かな)。もっと極端なときは、午後九時に就寝(小学生か、お前は)、午前二時に起床します(深夜営業に近いですね)。そして、まず就寝時以降に届いたメールに片っ端から返事を出します。この常軌を逸した仕事時間が「K先生は眠らない」という伝説を前任校在任中に生み出しました。
昨晩は、夕食後、二〇一四年に放映されたらしい樹木希林のお伊勢参りを中心としたドキュメンタリーを Youtube で見つけ、それを観てからゆっくり風呂に入り、十時前には就寝いたしました。その時点で、今日の午前中の文学史の講義の準備はまったくしてありませんでした。この講義のためにはいくらこれまでの資料の蓄積があるとはいえ、大した度胸です(って、自分で感心していれば世話ないですね)。
でも、さすがに寝ているうちに心配になってきたのでしょうね、午前三時前に目が覚めました。おお、そうであった、午前十時からの講義の準備をせねば、と、やおらPCに向かい、すでに十分すぎるほど作り込んであるパワーポイントの改定増補作業に入りました。今回のテーマは、ずばり『平家物語』です。一旦始めると、やはり直したいところがところどころ見つかり、改定作業に夢中になり、ふと時計を見たら、午前六時を回っておりました。まだ三時間近く持ち時間があるわいと、これでもかと言わんばかりに資料を追加した次第でございます。
そして、九時四十分、朝の冷たい空気を頬と耳に感じながら、いつものように自転車でキャンパスへと向かいました。さて、肝心の授業の方はどうだったのでしょうか。
授業の導入部分でドナルド・キーンの『日本文学史』中世編の序の一部を読ませたのですが、それに対して出た質問に答えたついでに、よせばいいのに調子に乗って内藤湖南の講演「應仁の亂について」の中のかの有名な挑発的な一節 ―「大體今日の日本を知る爲に日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、應仁の亂以後の歴史を知つて居つたらそれで澤山です。それ以前の事は外國の歴史と同じ位にしか感ぜられませぬが、應仁の亂以後は我々の眞の身體骨肉に直接觸れた歴史であつて、これを本當に知つて居れば、それで日本歴史は十分だと言つていゝのであります」― を紹介したりしたものですから、それについてまた質問が出てしまい、予定の時間配分が狂い始めました。
これはいかんと、軍記物語の定義を超スピードでまくしたて、「さあ、いよいよ『平家物語』です」と、ちょっと前のめりな調子で内容説明を始めました。その時点で二時間の授業の残り時間は三十分ほどでした。「まあ、きょうは全般的な紹介にとどめて、本文を読ませるのは来週にするかな」と内心軌道修正を図りつつ、それでもきりのいいところまでと話し続け、最後の五分になったところで、「それでは、琵琶に合わせて朗唱された『平家物語』の冒頭の一節を聴いてみましょう」と、Youtube で見つけた動画を見せたんですね。
その時になってはたと気がついたのです。毎週受けさせることになっている漢字の小テストのことをすっかり失念していたことを。ちゃんと印刷された問題用紙を持ってきたというのに。幸いなことに、同じ三年生たちとは明日の中世史の授業でも顔を合わせますので、「今日予定されていた漢字テストは、明日の授業の中で行います」とかろうじて失態を免れて、教室を後にいたしました。
これひとへに師のまめなる行ひのなせる業ゆゑなりとなむ語り伝へるとや。
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