今日は日曜日だから、というわけでもないのですが、哲学的にメランコリーの話を真面目にするのはお休みにして、いくらか軽く読書記録を一言残しておくだけにします。今、「いくらか軽く」と、ちょっと中途半端な言い方をしたのは、その読んだ本の内容そのものは、けっして「軽く」はないからです。むしろ、その本には、一人の人の人生行路において大切なことが、さりげなく、優しい言葉で、しかし核心を突くように書かれています。
その本とは、今日の記事のタイトルにも示したように、精神科医中井久夫の『「思春期を考える」ことについて』(ちくま学芸文庫、二〇一一年)です。本書は、同文庫から刊行されている「中井久夫コレクション」の中の一冊で、『中井久夫著作集』第三巻「社会・文化」(岩崎学術出版社、一九八五年)を中心として、新しく編み直されたものです。タイトルから想像される問題領域よりずっと広範囲に渡る問題群が扱われています。
本書の中に「軽症うつ病の外来第一日」という五頁ほどの短い文章が収められています。もともとは、一般医学誌『日本医事新報』二八八一号(週刊日本医事新報社、一九七九年)の「二頁の秘訣」というコラムへの寄稿で、本書収載にあたって、頁制限で削除した部分を復活させ、多少補足した、と著者自身による後記が添えられています。掲載雑誌の性格とこの文章のタイトルからも想像がつくように、この文章は、患者に接する精神科医へのアドヴァイスとして書かれています。
この文章を読んで、私は初めて「スマイリング・デプレッション」という言葉を知りました。この言葉が出て来る前に、外来患者の診療の始まりから、何に注意を払い、どう患者に接し、どのような言葉を使って問診すべきかが、素人にもわかる平易な言葉で語られています。その上で、一つの注意事項として、スマイリング・デプレッションに中井は言及します。
注意すべきは、社会的地位の高いほど「顔を作れる」能力が身についていることだ。そういう人ほど階級上昇しやすく、また上昇の過程で能力がみがかれるのだろう。その結果、深い抑うつを抱きつつにこやかに礼容を失わず医師に対応する “スマイリング・デプレッション” となる。ひとりでいる時の表情はずっと暗いはずだ。時々待合室をのぞくことをすすめる(174頁)。
このスマイリング・デプレッションという病名、日本語では「微笑み鬱病」というのだそうですが、中井の本にはこの言葉は出てきません。この言葉だけ見ると、何か軽症うつ病のように思えてしまいますが、実のところは、かなりの重症の場合が多いようです。日本人に特に多いということはあるのでしょうか。
もう一箇所だけ引いておきます。
再発問題には「治るとは元の生き方に戻ることではない。せっかく病気になったのだから、これを機会に前より余裕のある生き方に出られれば再発は遠のいていく」むね告げる。三十代後半から四十代ならば「せっかく病気になったのだから生き方を少しひろやか(のびやか)にされては?」と水を向ける。この「せっかく」は土居健郎のよく使うことばで実にうつ病の人によい。しかし、六十代、七十代の人にそういうのは酷であり、高齢まで一つの生き方を貫けた強さ、その生き方の適合性を買って、そのままのコースを歩んでもらうことも多い(176頁)。
中井久夫の文章を読んでいると、それだけで少し心が軽くなり、生きることにいくらかでも希望がもてるようになります。