内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「古い」意味から新しい意味への移行 ― ヴァンサン・デコンブの対談を読む(18)

2015-07-15 00:00:00 | 読游摘録

 「アイデンティティ」の新しい意味は、それゆえ、問題を引き起こす。どのようにこの新しい意味を理解したらいいのだろうか。「古い」(しかし少しも廃れてはいない)意味からそれを引き出すことができるだろうか。「できると思う」とデコンブ氏は答える。どのようにしてできるのか。
 古い意味から新しい意味への移行は、他者に自己紹介するときの社会的儀礼から発生する。
 「どなた様でいらっしゃいますか」という質問に対して、「私は○○○○です」と答え、そこにさらに自分の職業、肩書、会社での身分、自宅の住所その他の情報等を加えて、私たちは自己紹介するのが一般的である(付け加える要素は、そのときの文脈によるだろう)。そうすることで、この「私」の同一性を確定するための複数の要素を相手に提供する。「私」を特定するために必要な参照項を提供するわけである。
 しかし、それと同時に、私たちは、上記の質問者に対して、あるいは、より一般的には誰であれ話し相手に対して、どのような仕方でこの「私」を同定してほしいかのか説明しているのである。言い換えれば、その同定操作のために使ってほしい名前や肩書その他の要素を相手に提示しているのである。
 自己紹介という行為の中では、一方では、「私」への参照行為を可能にするものという「古い」意味での同一性概念が機能している。しかし、それと同時に、他方では、その紹介の中で用いられた言葉や表現形式が必然的に伴っている様々な社会的文脈も、その行為の中に見出されるのである。
 自分の名前その他を提示することによって、つまり、この「私」が誰であるか、自分で自分を同定することによって、「私」は、その「身分」(« statut »)を宣言してもいるのである。より正確に言えば、自分が「要求する」(« prétendre »)身分を宣言しているのである。
 それゆえにこそ、それら「私」を同定するために使用されているそれぞれの要素は、自己についての不安を引き起こす要因にもなり、自己についての他者による評価の基準にもなり、「私」の期待や主張・要求の他者たちによる認証請求としても機能する。言い換えれば、これらの要素が他者たちによって尊重されないとき、例えば、名前を覚えてもらえない、他人と間違われる、肩書を忘れられる、などの他者たちの反応が繰り返されるとき、「私」の自己同一性が脅かされていると感じるのである。つまり、「アイデンティティ」の新しい意味 ― エリック・H・エリクソンが言うところの「社会心理学的」な意味 ― において問題とされるのは、このように自己同一性が脅威に曝されている事態のことなのである。