内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

谷川俊太郎「おばあちゃんとひろこ」

2024-11-22 01:13:34 | 詩歌逍遥

 12月7日まで「サイテー・モード」だと言いましたが、その主な理由は、12月6日に審査員として参加するパリのINALCOでの博士論文の口頭審査のために審査対象の博士論文を読むことに集中しなければならないということです。
 その博士論文は、和辻哲郎の倫理学と政治思想をテーマとしていて、本文だけで580頁近い大作ですが、大変明快な論旨で気持ちよくハイスピードで読むことができ、今週末には一応読み終えられそうです。
 その後、残りの十日ほどで講評と質問を準備しなくてはなりません。すべての審査員(今回は5名)の講評と質問は、審査後に審査委員長がまとめる最終報告書に統合されるので、あらかじめ書いておいて審査後すぐに委員長に提出できるようにしておくことが望ましいのです。
 その上、12月前半には修士の演習が週に三つ集中するので、その準備にも時間が取られ、ブログの記事のために呻吟している時間はないというのが実情です。
 だからとって、くだらない御託を並べるのは本意ではありません。そこで、自分でも仕事の合間の休息時に声に出して読んで心を潤わせている谷川俊太郎の詩を、毎日一つずつ書き写していこうと思います。出典は、電子書籍オリジナル版の『自選谷川俊太郎詩集』(岩波書店、2023年)です。この版には、谷川俊太郎自身の朗読(音質はあまりよくありません)と英訳も付いています。

おばあちゃんとひろこ

しんだらもうどこにもいかない
いつもひろこのそばにいるよ
と おばあちゃんはいいました
しんだらもうこしもいたくないし
めだっていまよりよくみえる

やめてよえんぎでもない
と おかあさんがいいました
こどもがこわがりますよ
と おとうさんがいいました
でもわたしはこわくありません

わたしはおばあちゃんがだいすき
そらやくもやおひさまとおなじくらい
おばあちゃん てんごくにいかないで
しんでもこのうちにいて
ときどきわたしのゆめにでてきて

おっけーとおばあちゃんはいいました
そしてわたしとゆびきりをしました
きょうはすごくいいてんき
とおくにうみがきらきらかがやいて
わたしはおばあちゃんがだいすき

Grandma and Hiroko

“When I die I’m not going anywhere.
I’ll always be beside Hiroko,”
Grandma said.
“When I die my hips won’t hurt any more.
Even my eyes will see more clearly than now.”

“Don’t talk in that hurtful way,”
my mother said.
“You’ll scare the child,”
my father said.
But I’m not scared.

I like my grandma very much,
as much as the sky, the clouds, the sun.
“Grandma, don’t go to heaven!
Even if you die, stay here in our house
and show up in my dreams some times.”

“OK,” grandma said,
and we promised by locking little fingers.
The weather’s wonderful today.
The sea way out there is shining.
I like my grandma very much.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


私は只世界(コスモス)の中に生きるすばらしさに気づいたのだ」― 谷川俊太郎を讃えて

2024-11-21 00:00:00 | 詩歌逍遥

 一昨日、谷川俊太郎の逝去をネットのニュースで知った。今月13日に老衰のため都内の病院で亡くなられたとのこと。享年92歳。1931年12月15日生まれだから93歳の誕生日まであと一ヶ月ほどだった。
 特に熱心な読者ではなかったけれど、必ずしも彼の手になるものだとは最初は知らずに触れてきた童謡や翻訳やアニメの主題歌も含めれば、彼の作品は子供の頃から今日までずっと身近にあったことに訃報に接してあらためて気づく。
 「追悼」という言葉は彼にはふさわしくないように思う。「悼む」よりも、詩人としてまっとうされたその生涯をただ讃えたい。しかし、それは彼を崇拝の祭壇に祭り上げるためではない。しばらく仕事の手を休めて、いくつかの作品を味わうように口ずさみながら、彼が紡ぎ出した自在で多彩で無辺の言葉の宇宙のなかでしばらく時を過ごしたい
 手元には文庫版の谷川俊太郎詩集が二冊ある。ハルキ文庫版(角川春樹事務所、1998年)と岩波文庫の『自選 谷川俊太郎詩集』(2013年)である。
 両者に収められている作品のひとつ「帰郷」をここに書き写す。『谷川俊太郎詩集・続』(1979年)所収だが、1950年代の初期作品のひとつだと思われる。

私が生まれた時
私の重さだけ地が泣いた
私は少量の天と地でつくられた
別に息をふきかけないでもよかった
天も地も生きていたから

私が生まれた時
庭の栗の木が一寸ふり向いた
私は一瞬泣きやんだ
別に天使が木をゆすぶった訳でもない
私と木とは兄弟だったのだから

私が生まれた時
世界(コスモス)は忙しい中を微笑んだ
私は直ちに幸せを知った
別に人に愛されたからでもない
私は只世界(コスモス)の中に生きるすばらしさに気づいたのだ

やがて死が私を古い秩序にくり入れる
それが帰ることなのだ……

 

括弧内の「コスモス」はテキストでは「世界」に振られたルビなのだが、このブログにはルビをそのまま再現できないので、上掲ように後置した。「一寸」にも「ちょっと」とルビが振られているが、こちらはなくてもそう読めるだろうから省略した。


「仏はつねにいませども うつつならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ」(『梁塵秘抄』より)―「ことばの花筐」(4)

2024-08-25 11:08:05 | 詩歌逍遥

 一昨日が紙版の刊行日である三浦佑之氏の『増補 日本霊異記の世界』の電子書籍版を今さきほど買い求め、検索機能を使ってあちこち覗いていたら、『梁塵秘抄』の最も有名な法文歌の一つが目に止まった。

仏はつねにいませども うつつならぬぞあはれなる 
人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ(26)

 目に見えない仏に憧れる心を平易に歌ったこの一首は、北原白秋、菊池寛、川端康成、三島由紀夫など、多くの文学者をひきつけた(植木朝子『梁塵秘抄の世界 中世を映す歌謡』角川選書、二〇〇九年)。
 同じく植木朝子氏の『梁塵秘抄』(ちくま学芸文庫、二〇一四年)の当該今様の評は、「第二句「あはれなる」については、しみじみ尊く思われる、悲しいことと嘆かれる、の二様の解釈がある。法文歌においては、[…]まずは仏・菩薩や経、修行者の尊いことを讃美して、その尊さの内容を説明していく形式が多いので、当該今様においても、まずは仏の尊さを捉えたものと見たい」としている。
 これに対して、西郷信綱は『梁塵秘抄』(講談社学術文庫、二〇一七年)は、「あはれなる」の意の取り方について次のような見解を示している。

この句は、梁塵秘抄の愛用するところで、[…]法文歌に用いられることが多く、そしてそれは仏への帰依讃歎の心をあらわしている。だがそうかといってこの「仏は常に」の「あはれなる」を、そのようにきっぱり一義化してしまっていいかどうか問題がある。
 […]その解釈は、しみじみ尊く思われるとする説と、まことに悲しいことだとする説とに割れており、そのどちらかであるかが従来あれこれ論じられている。
 しかし、それを二者撰一と考えるのは、正しい享受とはいいがたい。[…]この句が常住不滅な仏への讃歎をあらわすとともに、それをまさに目に見ることのできぬ顚倒せる凡夫の歎きをも同時にあらわしており、そこにこの歌の独自なめでたさの存することが、おのずから納得されるのではなかろうか。

 西郷は下句についても解釈上の問題を指摘する。この句について、「ただ一般的に人の寝静まった夜明けがたに云々と棒読みしたら、万事休すである。夜来、仏を一心に讃歎敬仰して暁に至り、とろっとした忘我境に夢幻のごとく仏が示現するという意と解さねばならぬ」という。
 この〈時〉に関しては、馬場光子氏の『走る女』(筑摩書房、一九九二年)のなかの「遊女の祈り」と題された章のなかの同法文歌についての指摘が大変興味深い。

時は暁。夜の白む曙よりも、もっと夜に近い。この時間帯は、神楽など祭祀の場では、終夜(よもすがら)の神遊びの果てに、神が異界に帰る時刻であり、また説話では、[…]異形の者が異界への帰ってゆく時でもある。このように、夜と朝との間、人間世界と異界との間である暁に、仏が姿を見せるのだという。七日七夜の修行の果ての夢中示現である。
 一首の見仏は、すべて朧である。時は暁。夜と朝とのあわい。「現ならぬ」「人の音せぬ」と、現実の人間の生活する世界を表す「現」「人の音」という言葉は、否定形によってしか用いられていない。しかも、「ほのか」「夢」という、はかない言葉が積み重ねられている。教義としての、仏の常住不滅、夢中示現は、「常にいませども」「見えたまふ」と、仏典さながらの硬質な論理性を後退させて、たおやかな情感が前面におし出されている。こうした言葉には、人びとの情に訴えて、その感性をからめとろうとする力がこもっている。(203頁)

 こうして諸家の読みに導かれながら奥深い古典の世界をひととき逍遥することで、無明を彷徨う魂にもいくばくかの慰めが与えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「身にしむばかりあはれなるらむ」―『和泉式部集』より

2024-08-23 15:32:21 | 詩歌逍遥

 

 毎年のことながら、新学年を目前にした夏の終わりには少し憂鬱になってしまいます。数ヶ月前には思いもよらなかった重責を新年度から負うことになり、この夏は今までにもまして気が重く、爽やかな夏空が恨めしくさえ感じられます。個人的にも心にかかること多く、気持ちは深く沈みがちです。
 そんな暗く浮かない気分のときには、いささかの束の間の慰藉を求めて、あてどなく日本の古典を、特に詩歌の世界を逍遥します。
ここ数日は『紫式部集』を眺めていました。すでに何度も読んでいるのに、身に沁みる言葉に今またあらためて出会うことで少しこころが慰みます。儚き慰みではありますが。
 今日は、仕事机に向かったまま手を伸ばせば届く書架に『紫式部日記 紫式部集』と並んで置かれている『和泉式部日記 和泉式部集』(いずれも新潮日本古典集成)を手に取り、ぼんやりと式部集の頁をめくっておりました。
 本書に収められているのは『宸翰本和泉式部集』で、集と続集との重複歌も含めて千五百首余りの歌を収める岩波文庫版『和泉式部集・和泉式部続集』より歌数もはるかに少なく、十分の一以下の百五十首に過ぎませんが、『集・続集』に収録された歌との異同もあり、それはそれで興味深くもあります。一例を挙げましょう。

秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかり人のこひしき

 宸翰本の第一四歌です。この歌、岩波文庫版には一三三・八六九に重複して掲載されており、第五句がどちらも「あはれなるらん(む)」となっています。しかも八六九のほうでは、第二・三句が「いかなる風の色なれば」とあり、「色」と「風」が一三三とは入れ替わっています。古典集成の校注者野村精一は、頭注で「これらの異同はむしろ推敲過程を示すものか。単なる異伝の重出ではないようである。」と推測している。これらすべてを変奏曲のように楽しむのも一興ですね。
 ところで、この一首、紫式部のお気に入りだったようで、『源氏物語』のなかで数回言及されています。校注者がこぞって挙げているのは、「秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらん(む)」のほうです。『詞花和歌集』でもこのかたちで秋の部に採られています。この勅撰和歌集が編纂されたのは紫式部や和泉式部が生きた時代から百年ほど後のことです。紫式部が目にしたのはやはり「あはれなるらん(む)」のほうだったでしょう。
 ちなみに、『定家八代抄』(上・下、岩波文庫)には、「人のこひしき」のほうが恋歌として採られています。このかたちも和泉式部自身の手になるものなのか、宸翰本を編纂した後代の誰かの手になるものなのか、いまところ、決め手はないようです。
 塚本邦雄は『淸唱千首』(冨山房百科文庫、一九八三年)で「あはれなるらむ」のほうを採っています。

身に沁むとはもと「身に染む」ゆゑに、秋風の「色」を尋ねた。「秋風はいかなる色に吹く」とでもあるべきを、逆順風の構成を取つたことによつて、思はぬ新しさを添へた。二十一代集に同じ初句を持つ歌は他にない。この作者ならば靑・紅・白とほしいままに色を決め得るだらう、それも格別の眺めだ。しかも疑問のままで終るゆゑの深い餘情。

 最後に「あはれなるらむ」のほうを掲げて再度味わってこの記事を締めくくりたいと思います。

秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ゆくりなく」はなぜ「思いがけないことに」という意味になるのか調べたら

2024-05-24 23:59:59 | 詩歌逍遥

 その日どんな話題を記事にしようかあらかじめ決めてなく、ただ書き出しの言葉だけが念頭にあるときがある。今日の記事では、「思いがけないことに」と言うかわりに「ゆくりなく」というちょっと古風な言葉を使おうと思っていた。この言葉、なぜだか自分でもよくわからないのだが、多分響きのせいだろうか、お気に入りの言葉の一つだ。ただ、どうして「ゆくりなく」が「思いがけないことに」という意味になるのか気になり、調べだしたら、そっちのほうが面白くなってしまったので、それを今日の話題にする。
 この語は、このブログでもたびたび参照している私の大のお気に入りの辞典『古典基礎語辞典』(角川学芸出版、二〇一一年)に立項してある。その解説によると「副詞ユクユク(他人の気持ちなど構わないでものをするさま)やナリ活用の形容動詞ユクリカ(突然だの意)と同根。ユクは相手の事情や心情を考えずにする意で、リは状態を示し、ナシは程度のはなはだしいさまを表す接尾語。思いがけないことが突然起こるさまの意。」なるほどと得心がいく。
 『古典基礎語辞典』や『全訳読解古語辞典』(三省堂、二〇一七年)が用例として挙げている万葉歌が佳作だ。ただ、この歌、第一句の訓みや歌の解釈がいくつかあって、それがまた面白い。まず岩波文庫版の漢字仮名交じり表記で引用しよう。

ゆくりなく今も見が欲し秋萩のしなひにあるらむ妹が姿を(巻第十・二二八四)

 現代語訳は「偶然にでも今すぐ見たいものだ。秋萩のようにしなやかなだろうあなたの姿を」となっていて、注釈には「初句は、ふとした拍子にの意。原文は「率尓」。[…]約束して逢うのではなく、今すぐ偶然にでも見かけたいという気持ちか。いつも絶えず見ていたいと詠うのが恋歌の常だろうが、ここは、今の今どうあっても見たいという差し迫った心を詠う。」とある。
 ところが、伊藤博の『萬葉集釋注』は岩波文庫版とは違った訓みと解釈を示している。

いささめに 今も見が欲し 秋萩の しなひにあるらむ 妹が姿を

 伊藤はこの歌の意をこうとっている。「ふっと、今すぐにでも見たい気持ちがこみ上げてくる。今頃も秋萩のようにしなやかに振る舞っているあの子の姿は、ああ。」つまり、「今すぐにでも会いたい!」という気持ちが、思いがけず突然にこみ上げてくるという意に取っている。ところが、初句の訓みは「いささめに」としている。この訓みを採用した理由が『釋注』には示されていない。しかし、「いささめに」は万葉の時代から「かりそめに」「いい加減に」の意であり、訳との整合性にやや欠ける。
 私としては、初句の訓みは岩波文庫版の「ゆくりなく」を採り、歌の解釈は伊藤訳に賛意を表したい。素人にはこんな詩歌逍遥のしかたもあってよかろうと、専門家諸氏のご海容を乞う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


死の豊かさ ― ジョン・キーツ「ナイチンゲールに寄せるオード」にふれて

2024-05-10 23:59:59 | 詩歌逍遥

 キーツ関連の書籍をネットで検索していたら、Ode to a Nightingale からの引用が目に留まった。Ode とは OED  によると、

(a) In early use (esp. with reference to ancient literature): a poem intended to be sung or one written in a form originally used for sung performance (e.g. the Odes of Pindar, of Horace, etc.). 
(b) Later: a lyric poem, typically one in the form of an address to a particular subject, written in varied or irregular metre. Also in extended use.
Traditionally, an ode (in sense 1(b)) rarely exceeded 150 lines and could be much shorter. The metre in longer odes is usually irregular (e.g. Dryden Alexander’s Feast, Wordsworth Intimations of Immortality), or consists of stanzas regularly varied (e.g. Gray’s Pindaric Odes), but some shorter odes consist of uniform stanzas (e.g. Gray’s shorter odes). The popularity of the ode as a poetical form tended to diminish during the 20th cent.
The term is sometimes applied to certain short Old English poems, such as The Battle of Brunanburh.

 引用されていたのは、第六節の第一行から第五行までだったが、節全体は以下の通り。

Darkling I listen; and, for many a time
I have been half in love with easeful Death,
Call’d him soft names in many a mused rhyme,
To take into the air my quiet breath;
Now more than ever seems it rich to die,
To cease upon the midnight with no pain,
While thou art pouring forth thy soul abroad
In such an ecstasy!
Still wouldst thou sing, and I have ears in vain —
To thy high requiem become a sod.

 第五行目の « rich to die » の rich はどのような意味なのだろう。その次の行が死の様態を具体的に示しているけれども、真夜中に苦痛なく命を終えることができれば、それだけで充分に満たされているということだろうか。最後の四行は、恍惚として歌い続けるナイチンゲールの歌声がレクイエムとなって、それが響き続けるこの世に別れを告げて、私は土へと還ってゆく、と謳う。
 この十行の詩句を声低く繰り返しながら今日一日を過ごした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「喜びも、悲しみも歓迎する」― ジョン・キーツ A Song of Opposites より

2024-05-08 14:12:55 | 詩歌逍遥

 研究休暇中で毎日が日曜日みたいな暮らしをしているからということもありますが、迂闊なことに、今日明日が連休であることをすっかり失念していて、朝になってようやくそのことに気づき、ほとんどの店が閉まっているから今日は買い物ができないではないかとちょっと慌てました(日本ではありえないことですね)。幸い自転車で五分ほどのところに休日祝日祭日でも午前中はほぼ休みなく営業しているスーパーが一軒あり、そこで今日明日に必要最低限の買い物は無事済ませることができました。
 今日五月八日がヨーロッパ戦勝記念日で、明日木曜日がキリストの昇天祭、およそ何の相互関係もない二つの祝日からなる連休なのですが、後者が移動祝日(復活祭から数えて六回目の日曜日後の木曜日)であるために何年かに一度、こういうことになります。金曜日は平日ですが、その日も自主的に「休日」にしてしまう人たちも多く、そうなると五連休ということになります。大学さえ一部の建物は施錠されて入れなくなります。もう学年末ですが、この金曜日に補講や試験などを組もうものなら、学生から大ブーイングを受けること必定です。私はそれらすべてのことを今年は傍観者としてぼーっと眺めているだけです。
 さて、帚木蓬生氏の『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』のなかに引用されているジョン・キーツの詩 A Song of Opposites にちょっと感動したので、同書に示された訳詩(おそらく帚木蓬生氏自身の訳。漢字の誤りと思われる一箇所を改変)をまず掲げ、その後に原詩を掲げます。原詩で脚韻がどのように踏まれているか知ることもこの詩の味わいを深めてくれます。

喜びも、悲しみも歓迎する
忘却の川の藻も、ヘルメスの羽も同じだ
今日も来い、明日も来い
二つとも、私は愛する
悲しい顔を、晴れた空に向け
雷の中に、楽しい笑い声を聞くのも
私は好きだ
晴天も悪天候も、どちらも好きだ
甘美な牧草地の下で、炎が燃えている
不思議なものへの、くすくす笑い
パントマイムの思慮深い顔
葬式と、尖塔の鐘
幼児が頭蓋骨で遊んでいる
晴れた朝の、嵐で難破した船体
すいかずらの巻きつく毒草
赤いバラの中で、蛇が舌を鳴らす
優雅な服をまとったクレオパトラが
胸に肉汁のゼリーをつけている
踊る音楽、悲しい音楽
二つとも正気で狂っている
輝く詩の女神と蒼ざめた女神
暗い農耕の神と、健全な滑稽の神
笑って、溜息をつき、また笑え
ああ、何という痛みの甘美さよ
詩の女神が輝き、蒼ざめる
そのヴェールをとって顔を見せておくれ
私に見せ、書かせておくれ
その日と夜を
二つともで私を満たしてくれ
甘美な心の痛みに対する私の大いなる渇き
私の東屋をお前のものにして
新しい銀梅花や松、花満開のライムの樹で
包んでおくれ
そして低い芝草の墓が私の寝椅子だ

Welcome joy, and welcome sorrow,
     Lethe’s weed and Hermes’ feather;
Come today, and come tomorrow,
 I do love you both together!
 I love to mark sad faces in fair weather;
And hear a merry laugh amid the thunder;
 Fair and foul I love together.
Meadows sweet where flames are under.
And a giggle at a wonder;
Visage sage at pantomime;
Funeral, and steeple-chime;
Infant playing with a skull;
Morning fair, and shipwreck’d hull;
Nightshade with the woodbine kissing;
Serpents in red roses hissing;
Cleopatra regal-dress’d
With the aspic at her breast;
Dancing music, music sad,
Both together, sane and mad;
Muses bright and muses pale;
Sombre Saturn, Momus hale; -
Laugh and sigh, and laugh again;
Oh the sweetness of the pain!
Muses bright, and muses pale.
Bare your faces of the veil;
Let me see; and let me write
Of the day, and of the night -
Both together: - let me slake
All my thirst for sweet heart-ache!
Let my bower be of yew,
Interwreath’d with myrtles new;
Pines and lime-trees full in bloom,
And my couch a low grass-tomb.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「冥きより冥き途にぞ入りぬべき」― 和泉式部歌についての一断想

2024-05-04 08:24:42 | 詩歌逍遥

くらきより くらき道にぞ いりぬべき はるかに照らせ 山の端の月

 この和泉式部の代表作は、『拾遺和歌集』巻第二十「哀傷」に雅致女式部の名で入集し、平安時代から名歌として知られる。『古本説話集』や『無名草子』は、罪障深い和泉式部がこの歌を詠むことで成仏したとする。『沙石集』など、他の説話集類も同歌にまつわる説話を伝える。鴨長明の『無名抄』にも式部の名歌のひとつとして言及されている。
 『拾遺和歌集』の詞書には、「性空上人のもとに、詠みて遣はしける」とある。『和泉式部集』の詞書は、「播磨の聖の御許に、結縁のために聞こえし」となっている。「播磨の聖」は性空上人のこと。性空上人は「播磨の書写山円教寺を創建した名僧。」(岩波文庫版注)「比叡山で天台教学を究め、日向・筑前の山で修行の後播磨の書写山に留まって、円教寺を創建した。」(岩波文庫版『和泉式部集・和泉式部続集』脚注)「花山院・円融院・藤原道長・公任らの尊信を受けたが、都へ上ることはなかったという。多くの女人が結縁を求めたという説話も伝えられている。」(新潮日本古典集成版頭注)「結縁」(けちえん)は、仏教語、「受戒・写経・法会などをして、仏道と縁を結ぶこと。未来に成仏する因縁を得ること」を意味する(三省堂『詳説古語辞典』)。
 上の句は、『法華経』化城喩品「従冥入於冥、永不聞仏名」(くらきよりくらきにいりて、ながくぶつみょうをきかず)を踏まえる。結句の「山の端の月」は性空上人を指し、下の句は「上人が導師となって、はるかに真如の世界へ導いて下さい、と願う意。」(岩波文庫版脚注)
 三省堂『詳説古語辞典』は同歌に「私は煩悩の闇から闇へと入り込んでしまいそうだ。はるか遠くまで私を照らしてほしい、山の端にかかる月よ」と訳を付している。角川『全訳古語辞典』は参考欄で、「「暗き」とは、煩悩をいい。「山の端の月」とは「真如の月」(=不変の真理)をさし、その体現者である上人をなぞらえているという。迷い多き自分の煩悩を、仏法の真理の力で取り払ってほしいと願うのである」と説明している。新潮日本古典集成版の現代語訳は、「私はいま闇の世界を冥府に向って進んでいるようです。どうかお上人様、はるか彼方からでも、あの山の端の月のように、私の足もとを照らす真如の光で、私をお導き下さいませ」。塚本邦雄は、『淸唱千首』(冨山房百科文庫)で、「調べの重く太くしかも痛切な響を、心の底まで傳へねばやまぬ趣。[…]女流にしては珍しい暗い情熱で、一首を貫いてゐるのは壯觀である」と評している。
 「くらき」をそのままひらがな表記する版もあるが、漢字をあてる場合は「暗」を採っている版が多い。手元にある『和泉式部集』の諸版では清水文雄校注の岩波文庫版(一九八三年)のみが「冥」をあてる。
 ただ、近藤みゆきも、『和泉式部日記』(角川ソフィア文庫、二〇〇三年)の補注37に同歌を引用するとき、「冥」をあて、さらに「みち」には「途」をあてている。その補注は、日記中の歌「山を出でて冥き途にぞたどりこし今ひとたびのあふことにより」のなかの「冥き途」に付されている。そのなかで近藤は、「「冥途」は本来、死者の霊魂が赴く地下世界をいうものだが、ここでは煩悩に満ちた俗界の意で用いている。また同じ語を用いた和泉式部の代表作「冥きより冥き途にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月」(拾遺集・哀傷・一三四二番)は、この前年の長保四年(一〇〇二)頃に詠まれたものである」と説明しており、この説明に依拠するならば、和泉式部において、「くらきみち」とは、いわゆる冥途のことではなく、煩悩尽きぬばかりか深まりゆくほかないこの世俗世界にほかならない。そこからの離脱は絶望的に困難である。そうであってこそ、救済願望も痛切を極める。
 なお、「冥き途」については、二〇一九年四月二八日の記事「和泉式部の「つれづれ」、あるいは存在の空虚と共振する言葉(三)」でも言及している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「琴の音に峰の松風通ふらし」―『拾遺和歌集』より

2024-04-19 00:00:14 | 詩歌逍遥

 『拾遺和歌集』は、藤原道長による摂関体制最盛期を目前とした寛弘二、三年(1005、1006)頃の成立。花山院自撰とされ、『古今集』『後撰集』に次ぐ三番目の勅撰集。1351首収める。歌集としての知名度はさほど高くはないけれど、小倉百人一首に十首採られている。壬生忠見の「こひすてふ」、平兼盛の「しのぶれど」、藤原道綱母の「なげきつつ」など。
 岩波文庫版『拾遺和歌集』(2021年)の歌林のなかを気の向くままに逍遥していて、斎宮女御の次の一首に行き当たる。

琴の音に峰の松風かよふらしいづれのをよりしらべそめけむ(雑上・451)

 「琴の音色に、峰の松風の音が似通っているようだ。松風は、どの山の尾、どの琴の緒から、奏で始めたのだろうか」。詞書には「野宮に斎宮の庚申し侍りけるに、松風入夜琴といふ題を詠み侍りける」とある。野宮は、斎宮が伊勢下向の前に精進潔斎する仮宮。ここは村上天皇皇女規子内親王。この歌の詠み手はその母、斎宮女御徽󠄀子(ぎし)。四句、山の「尾」に琴の「緒」を掛ける。「庚申」は、「道教に由来する庚申待ちの行事。この夜に寝ると、体内にいる三尸(さんし)という虫が抜け出して、天帝にその人の罪を告げるとも、虫そのものが人の命を危うくするともいわれ、神仏を祭り徹夜する習俗となった。徹夜のため、詩歌管絃の催しも行われた」(岩波文庫版、73頁、152番歌の注より)この一首、塚本邦雄の『淸唱千首』(冨山房百科文庫、1983年)にも採られていて、「徽󠄀子の數多の秀作中でも、最も有名な一首。これまた後世、數知れぬ本歌取り作品の母となつた」とある(140頁)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「菫」を巡る言葉の散歩道

2023-04-10 23:59:59 | 詩歌逍遥

 塚本邦雄の『百花遊歴』(講談社文芸文庫、2018年。初版、文藝春秋社、1979年)の「菫」の章を読んでいると、人家の傍や野道にざらに生えているはずの立壺菫や、それよりももっと一般的であるとされている標準型の「菫」さえ、今日ではなかなか出会えないとある。そもそも「人家」や「野道」さえ少なくなってきているのだから、そこに咲いているはずの菫にお目にかかれなくなっているのも致し方ない。
 「人家」とは、ただ人の住む家を指すのではなく、「〔無人の野山・原始林などに対比して〕人が住んでいる(いた)家」(『新明解国語辞典』第八版)を指す。『新漢語林』第二版(2011年)には、唐の詩人杜牧の「山行詩」から次の一節が引かれている。「遠上寒山石経斜 白雲生処有人家」(とおくカンザンにのぼれば、セキケイななめなり。ハクウンショウずるところ、ジンカあり)。「遠く郊外まででかけ、さびしい山を上っていくと石の転がる小道が斜めに続き、白い雲がわき出ているあたりにも、人の住む家があった。」
 「人家」は、だから、街中に密集する住宅を指すことは稀であり、人の住まぬ領域との対比において、人が生活している場所としての家を指し、無人の領域と人里との境界領域にある家を指すことがしばしばある。例えば、「人家もまばらな」と言えば、人里離れた土地に点在する家を指す。
 そんな人家の傍にひっそりと咲いている菫に出会ったことは私にはもちろんなく、ストラスブール大学付属植物園でお目にかかったことがあるだけである。それでも好きな花であることにかわりはない。
 日本の詩歌の中で「菫」を詠んだ歌として著名なのは山部赤人の「春の野にすみれ摘みにと来し我そ野をなつかしみ一夜寝にける」(巻八・一四二四)だ。しかし、この歌は菫そのものを讃えているわけではない。もちろん詠われた景色の構成要素として菫も欠かせないにしても、赤人がなつかしんでいるのは野辺の美しさである。当時、菫は薬草として用いられていたというから、菫摘みとは薬草狩りであったと考えるのが妥当なようだ。
 この歌、授業で「なつかし」の原義を説明するときに必ず引く。中世以降に現れ、今日ではそれがこの言葉の一般的になっている「(昔や亡き人を)懐かしむ」という意味は万葉集の時代にはなかったことに注意を促し、「なつかし」の原義は、「いつまでもそこにとどまりたい」「いつまでもいっしょにいたい」という気持ちであることを強調する。だから、古語「なつかし」は「ノスタルジー」とは無縁である。