いちにち物いはず波音
この山頭火の句は、『草木塔』以後の生涯最後の一年間に作られ、未定稿のまま残された句中の一つ。その句作は昭和十四年十月六日から十一月にかけての四国遍路の旅の途上でのことである。
山頭火は大正五年に『層雲』の俳句選者の一人にもなっていたから、同誌の大正十三年八月号に掲載された放哉の句「一日物云はず蝶の影さす」を知っていたかもしれない。しかし、昨日の記事で見たように、「いちにち物いはず」という表現を最初に用いたのは山頭火の方がずっと早かったから、両者の間に「本句取り」の関係はなく、「いちにちものいはず」という表現の期せずしての一致は、両者の詩人としての境涯の共通性を示している。もっと踏み込んで言えば、「いちにちものいはず」は詩の生まれ出て来る沈黙の生ける姿を表している。
昭和十四年十二月三日、山頭火は五十七歳の誕生日を迎え、翌年、十月十一日、一草庵で死去する。ちくま文庫版『山頭火句集』(1996年)巻末の村上護編の年譜には、「一〇月一〇日夜、一草庵にて句会、庵主は参加せず隣室で休息。酩酊はいつものことと庵主に挨拶もせずに散会したが、一〇月一一日午前四時(推定)死亡、心臓麻痺と診断」とある。
死の前年の四国遍路の旅中、香川、徳島、高知の霊場を巡拝している。いずれの地でこの句が詠まれたか。この遍路日記によると、十一月六日に室戸岬を訪ねている。
室戸岬の突端に立ったのは三時頃であったろう、室戸岬は真に大観である、限りなき大空、果てしなき大洋、雑木山、大小の岩石、なんぼ眺めても飽かない、眺めれば眺めるほどその大きさが解ってくる[…]。
室戸岬の先端近くの山の上に第二十四番目の札所東寺(ひがしでら)がある。そこで詠まれた句が日記に記されている。
うちぬけて秋ふかい山の波音
『山頭火俳句集』(夏石番矢編 岩波文庫)では、この句の前に「野宿いろいろ」という小見出しの下にまとめられた五句があり、その中の一句が冒頭に掲げた「いちにち物いはず波音」である。
波音おだやか夢のふるさと
これはその五句のうちの最初の句である。もっともこの配列は編者によるものであり、実際の句作の順序通りかどうかは推測の域を出ない。それはともかく、その他の句を脇にのけて、いずれも「波音」という一語を含んだ三句を並べて読み直してみよう。
波音おだやか夢のふるさと
いちにち物いはず波音
うちぬけて秋ふかい山の波音
この三句を遍路の道行としてこの順番通り読むとどんな風光が見えてくるか。
第一句は、おだやかな波音を聞きながら、もはやそこに帰ることはない瀬戸内海に面した故郷山口県防府市の海を夢想している。第二句は、遍路を一日黙々と歩く間、聴覚が波音に満たされ、歩行のリズムと海の階調とが同期し、詩人の身体は波音に融け入っている。第三句は、海辺から山頂への道を登りきったところに広がる晩秋の景色の中に波音だけが下から響いてくる。人声無き心身景一如の一句。
波音がここではない懐かしい過去の場所を想起させる。黙する自己身体が波音と協和する。そして、波音をもそこに包み込む無限の風光の中に詩人の心身は透入する。