南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

代表的日本人

2013-02-02 17:33:58 | 読書
代表的日本人 (いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ4)
クリエーター情報なし
致知出版社


グローバル化が進むなかで、日本人としての自信を失いつつあるような昨今の風潮を、私自身も心配しています。
そんな折にふと見つけたこの1冊は1894年に書かれたものです。
「サムライの子」であり「キリスト教徒」であり「反戦論者」でもある内村鑑三が、5人の立派な日本人の存在を通して日本人のよい特性を世界に伝えようと外国語で書いたものです。
「武士道」を書いた新渡戸稲造とは札幌農学校(後の北海道大学)の同期生だったとのことです。

興味を引くのは内村鑑三が、立派な日本人として選んだ顔ぶれです。
「西郷隆盛」「上杉鷹山」「二宮尊徳」「中江藤樹」「日蓮上人」の5人をなぜ選んでいるのかは、読者のお楽しみです。

私が心に残った部分だけ雑多に紹介しておきます。
「度量の小さい人は自分だけが得をしようとし、度量の大きい人はみんなが得するように計らう。前者はその利己心によって滅び、後者はその公の精神によって栄える」(西郷隆盛)

「人こそが変革の天敵であることは、日本でもどこでも同じです。若き鷹山は、変革をもたらさなければなりません。そうしないと、救済は不可能なのです。しかし、人を変えるには、まず自分が変わることから始めなければなりません」(上杉鷹山)

「実に、独立心の強い人でした。まじめにこつこつ働く者に自然はきちんと応えてくれるということを学んでいましたから、のちに行うことになる改革はすべて“自然はその法に従う者に豊かに報いてくれる”という、この純然たる信条に基づいていました」(二宮尊徳)

「まず、日本では、学校を知的修行の場ととらえたことはこれまでありません。学校へ行ったのは、修学後に暮らしが立てられるようになるからではなく、真の人間になるためであり、そうした人は「君子」と呼ばれていました。英語のジェントルマンに近いものです。また、一度に多くの教科を教わることもありませんでした。人の脳は左右二葉しかないことは今も昔も変わりません。たくさんあるわけではないため、昔の教師は、わずか数年でありとあらゆる知識を詰め込むべきではない、と考えていました。これが、かつての日本で行われていた教育方法の長所のひとつです」(中江藤樹)

「日本の仏僧で、ひとつの経典と仏法のために命を賭して立ち上がったのは、わたしたちの知る限り蓮長(日蓮)ただひとりであり、その後に続く例はひとつとしてありません。蓮長の生き方が興味を引くのは、主張し、広めたその教義の見解によるのではなく、非難をものともせず自分の信じた教えを支持し続けた、その勇敢な生き方によるものです」(日蓮上人)

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