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官僚制としての日本陸軍

2012-11-08 22:25:32 | 読書
官僚制としての日本陸軍
クリエーター情報なし
筑摩書房


マックス・ウェーバーは著書「職業としての政治」で、「近代国家とは、ある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を要求する人間共同体である」と定義しました。
以前、仙石代議士の「自衛隊は暴力装置」発言が大騒ぎになりましたが、おそらくこのウェーバーの国家定義が念頭にあったものだと思われます。
この本を読みながらふとそんなことを思い出しました。

北岡氏はこの本の中で19世紀半ばの帝国主義の時代に、武士という軍事を職業とする身分を持つ日本において、それを否定して近代的軍隊を設立するという困難さをまず書いています。

江戸無血開城が1868年、彰義隊戦争や函館戦争が終了して版籍奉還を認めたのが1869年7月でした。
いずれも薩長をはじめとする諸藩の軍隊が力を発揮しました。
明治政府では兵制会議が開かれて、藩兵に依存しない政府直属軍を編成するのか、それとも薩・長・土を中心とした中央軍隊を編成するかで対立しました。
結局、1871年に薩・長・土の三藩から1万人の兵隊が集められ、西郷隆盛がその実質的な指導者となります。
この軍事力を背景に廃藩置県が行われますが、その後明治政府は西郷隆盛という英雄を擁した薩摩の軍事力をいかに解体し、中央政府に忠誠心を持つ新しい軍事力に置き換えるかに腐心します。
1876年廃刀令が出されると、それが引き金になって士族の不満は頂点に達し、西南戦争が勃発します。
西南戦争以後、軍事力による反乱はもはや不可能と分かったことから、政府に対する批判や不満は自由民権運動に一元化されていきます。

そして西洋列強と対峙するために欠かせなかった中央集権化を天皇を中心に据えることによって実現しますが、その後政党が没落を始めていき、これに代わって軍が政治の全面に姿を現すこととなる不幸な歴史に場面は変わります。
1931年の満州事変から1936年の2・26事件に至るまでの激しく変動するドラマはまさに派閥の対立であり、指導者同士の争いです。
幕末以来、ほぼ一貫して対列国協調政策をとり続け、ヴェルサイユ・ワシントン体制についてもその主要な担い手の一員であった日本でしたが、いつしかこの体制から離脱していき世界秩序を乱す時代の錯乱者になっていきます。

軍事力について北岡氏はこう述べています。
「…敗戦以来、ほとんど半世紀にわたって日本人は軍事の問題に真正面から取り組むことを回避してきた。
その態度は1990年の湾岸危機によって根本的な挑戦を受けることとなった。
それは一方的な軍事力の発動によって国際紛争を解決しようとする国があることを明白な形で示した。
いったん侵略が行われれば、侵略者を撤退させ、原状を回復することがいかに困難かを明らかにした。
世界の秩序を維持し、紛争の勃発を未然に防止するため、そしてその拡大を防ぐために、抑止力としての軍事力は欠かせない。
それが世界の常識だ」
このことがマックス・ウェーバー言うところの“近代国家の本質”なのかもしれませんね。

最後の章は、宇垣一成の対外政策を取り上げていましたが、彼の言葉が印象的でした。
敗戦も近づいた1945年6月1日の言葉「日本には行政事務はありても政治は無い!」
敗戦の翌年1月の言葉「日本は木っ端微塵に敗れたり。然れども真実に敗れたのは国民の日本にあらずして、軍閥―官僚―財閥等帝国主義的我儘に依って汚辱され歪められたる軍国日本である」

さて、今の日本の姿は将来、歴史の中でどう語られていくのでしょうか?

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