日本人は絶対神をもたないが、なんとか上手く暮らしてきた。
それは信仰する神がいなくとも、ある種の信頼感が社会の中に醸成されてきたからだろう。
その信頼感がガラガラと崩れ始めている。
静岡県の青○弁護士からレクチャーを受けた。
『そもそも民事裁判と刑事裁判では何が違うのか。
「刑事裁判は国家が個人を処罰するためのもの。
一方、民事裁判は個人と個人の紛争を解決するもの」である。
刑事裁判では被害者が犯人を訴えるわけではなく、犯人を訴えるのは国=検察官なのである。』
検察官は、警察組織と協力し犯人を逮捕・拘留するなどの強力な権限を持つ。
そこには国民との間に信頼関係がなければ成り立たないものがある。
それが今年1月の「富山冤罪事件」などに例を見る様々な冤罪事件で崩れていく。
国に、でっちあげの犯人に仕立てられてはたまったものではない。
朝鮮総連中央本部の仮装売買事件も国民を驚かせた。
元・公安調査庁長官の緒方氏が、1億円の報酬に目がくらんだのかも知れないが、信じられない行動を起こした。
緒方氏は仙台、広島高等検察庁検事長でもあった経歴を持つ。
ここでも国民と国家との信頼関係が崩れていく。
ミートホープ社の牛肉偽装も酷いものだ。
牛肉ミンチにまったく「牛」が検出されない商品もあったそうだから、救いようの無い業者だが、役所も酷すぎる。
ミート社のやり方を見かねた元役員らが昨年2月、農林水産省に会社の不正を告発し、偽の牛ミンチを証拠として持ち込んだ事実が発覚した。
ところがまともに調査しないまま、事実上放置されてきたという。
こんな社会に、いつからか、なってしまった。(してしまった。)
ほんの少し前、みんな貧しくて、豆腐屋も魚屋もリヤカーを引いて行商していた時代。
誰もその豆腐がまがい物であるとは疑わないし、魚屋も決して腐ったような魚は扱わなかった。
ほのぼのと暖かく、人間らしさを感じた時代。
最近の“経済観念”一辺倒で、“自己利益追求”に埋没した社会に、“超怒級の不幸”を感ずる。
今夜は島田駅で街宣活動。
たまった鬱憤を晴らしてこよう。