南町の独り言

様々な旅人たちが、日ごと行きかふ南町。
月日は百代の過客、今日もまた旅人が…。

守れ「自由の砦」

2006-07-21 08:37:53 | Weblog

4年前、私は長い間お世話になった単組から離れ、上部団体の仕事を通して社会へご恩返しするために南町へ越して来ました。
当時も今も実家では日刊紙「きずな」を発行していますが、私の最後の原稿は『自由の砦』というタイトルでした。
労働運動にかける私の思いを綴ったものですが、あらためて実家で『自由の砦』を守る後輩たちのことを思いながら、あるいは県内各地で本物の労働運動を目指している仲間たちに思いを寄せながら、拙い一文ですが贈りたいとおもいます。
(John LennonのPower To The Peopleを聴きながら・・・。)

『自由の砦』200210月「きずな」原稿

人間が人間らしく生きるということは、自由であるということである。自由であるということは、すべての人間が個人として尊重されるということである。そして、すべての人間が幸福を求めて日常生活を営んでいく権利は、公共の福祉に反しない限り、最大限認められている。
 しかし、その自由や権利を守るためには、不断の努力を欠かしてはならない。ただ単に法により与えられているのではなく、常に努力し保持しなければならない性格をもつものなのである。

 幸福であるために自由を追求し、幸福であるために健康で文化的な生活を追及し、幸福であるために人間は働くのである。
自由と権利を守るために不断の努力が求められるように、労働組合も「自由を守る砦」であらねばならない。

 会社には経営権、人事権、業務権があるから、業務命令に従わなければクビと言われても仕方がない。これが会社と社員の本質的な関係である。しかし、実際にはそのような乱暴な命令は出せない。それは労働協約があるからだ。労働協約とは会社と組合との間で取り決められた、働く上でのルールである。すなわちルールを協議し決定することを通じて、私たちは自由でいられるのである。

 最近世間で、その「自由の砦」が崩れ始めている。労働組合の組織率は年々低下し20%にまで落ち込んだ。それは、労働組合の目的、労働組合の本質的な存在意義を忘れかけているからだと私は思う。

    是は是、非は非と自らの意見や考えを主張する自由

    働くものに対する扱いや労働条件について改善を求める自由

    また、その実現に向けて団体行動に訴えることのできる自由

     何人に対しても卑屈にならず、不当な蔑みや差別には改善を求める自由

    何よりも人間が人間らしくあるために闘える自由

労働組合は、これらの自由を法によって与えられていることを深く自覚しなくてはならない。そして「自由の砦」である労働組合を、組合員全員で支えていく決意を求めたい。加えて労働者が人間らしくあるために、労働組合をもたない8割の未組織労働者にも支援の手を差し伸べていただきたい。

誰のためでもない、自分のために。