田中砦は田中神社の背後の山にある。
お城の概要
所在地:高島郡安曇川町田中 map:http://yahoo.jp/XDqPaT
別 名: -
築 城:田中氏
初城主:田中氏
区 分:砦
遺 構:堀切
目標地:田中神社
駐車場:田中神社
訪城日:2013.7.6
田中神社の様子
お城の概要
田中城(上寺城)から北東へ約2km、田中氏館(下ノ城)から北西に500m、田中神社の北西の尾根に位置している。
田中神社横から山中に入り、神社背後の裏山に築かれた砦だ。山には杉が植林されているが、砦跡は植林されていないため分かる。
なだらかな北からの尾根を幅約4mの横堀(堀切と呼ぶのが適当かもしれない)を配し、横堀は北から西に廻っている。
砦跡は東西、南北とも25m程度の削平地で、堀底からは高さは3~4mあるが、切岸はなだらかで台地状である。 北からの尾根を堀切で遮断して城域とした単郭の縄張りとなっていた。
東に田中氏館:下之城(南市城)があり、南の丘陵には田中氏の詰の城『上寺城』ある。
田中城(上寺城)が築かれる前の田中氏の詰めの城か!
お城の歴史
詳細不明。田中砦は、築城年代や築城者については定かでないが、高島七頭の一つ田中氏が在城した。
高島 田中氏
戦国時代、田中吉政の活躍で有名になった田中氏は、近江国高島郡田中村の出身という。
『寛政重修諸家譜』では、橘氏の末裔に田中氏をあげ、「筑後守忠政がとき嗣なくして家絶ゆ。庶流田中久兵衛政諧が家伝に、先祖近江国高島郡田中村に住し、伯耆守嵩弘がときより田中を称号す、其男重政なりといふ」と説明している。
『藩翰譜』では、吉政の父の名を宗弘とし、「兵部少輔橘長政は伯耆介宗弘が男なり。本国は近江の人、先祖累代、高島郡田中と云ふ所にぞ住してける」とみえる。
また、鈴木真年編による『古代氏族系譜集成」所収田中氏系図をみれば、遠祖は橘朝臣仲遠とあり、民部大輔親信の子重信が近江国高島郡田中を領して田中を称したとされ、兵部少輔吉政の父は実氏となっている。いずれが正しいのかは、にわかに判断し難いが近江国高島郡田中村から出てきたことは間違いないようだ。
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、高島の城、武家家伝
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