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八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

女房は女子大生

2011年06月22日 09時34分54秒 | 家族
退職を機に、ハマの大魔神=佐々木主浩の母校(東北福祉大学)に、お銀を入学させた。
55歳のおっさんが女子大生を妻に、といったら犯罪行為に等しいが、女房を大学生にするのはセーフだろうという訳で、
本人の希望もあったし、通信教育だけど一応女子大生になった。

通信教育とはいえ年に20日くらいは大学で講義(スクーリング)もあり、スクーリングの時には留守番に不安も正直あったけれども、
自力トイレに自信があったので、これからは「女房元気で留守が好い」ということで、お銀は晴れて女子大生妻になった。
クラスメートには、家族を長年介護してきた中高年の男女、現役ケアマネさん達が多いようだ。

脳幹(橋)出血して以来、歩行不可&難聴気味の後遺症のせいか、私は極端に臆病になった。。
それで念のため、独り留守番をサポートして貰うため以下を用意した。
  ・ ホームセコムのセキュリティ
  ・ PCデスクからのリモコン操作 → 部屋照明、TV、エアコン、緊急通報(セコム)
  ・ 訪問者 → 居留守(宅配・書留は不在配達通知票を置いてくれるので居留守はOK)
  ・ 電話着信 → 留守電(相手先IDを記録)
  ・ お銀との連絡 → パソコンメール⇔携帯メール
  ・ 食飲料 → お銀弁当、コンビニ弁当、パン、茶・コーヒー、おやつなど、必要分。

で1年間やってみたら、案外、案ずるより生むが易しだった。
お蔭でスクリーング以外にも、デパート、買い物、・・・友達との井戸端会議などなど、
週2,3回は「女房元気で留守が好い」路線でやっているから、お銀はストレス解消に事欠かないようだ。
だから今のところ、介護保険サービスは利用しなくてもOKなのだ。

第2の新婚時代

2011年06月22日 09時06分46秒 | リハビリ・ADL
脳出血してからの数年間は、息継ぎをしながら喋ることができなくて、『うっ』と息を止めて喋っていた。
咽喉がマヒして肺活量も小さくノーブレスで必死に喋るから、いつも怒鳴り口調になって、
『お父さんと話していると、なんか怒られているみたい』と、娘達には敬遠されていた。

そこで、お銀は会社へ送迎する車内では、私にたくさん喋らせるように仕向けていた。
出社時の1時間、帰りの40分、毎日車の中で、私はずーっと喋りまくっていた。
たまに入るお銀の相槌もうわの空に、一心不乱にとにかく喋り続けた。
振り返るとこの喋りまくりが、息継ぎと肺活量の結構なリハビリになったと思う。

脳出血前は単身赴任で、7年間も東京―仙台と離れて暮らしていたから、
二人三脚でやってきたこの10年間は、第2の新婚時代だった気がする。

富士山から見た星空

2011年06月22日 08時45分01秒 | 家族
「皆おきろ、クルマに乗れ、これから富士山へ行くぞぉ!」

今から20年前、娘達が小学校1年のある夏の夜のこと。
お銀と娘達を真夜中に起こして、愛車7thスカイラインに乗り込ませ、
夜逃げじゃあるまいに夜中の2時頃、一路富士山に向い世田谷を出発した。

国道20号の調布から中央道に入り河口湖まで行き、
富士山の新5合目を目指して、真っ暗のスバルラインを走った。
出発してから新5合目に着くまでのあいだ、お銀と娘達は後部シートで寄り添いぐっすりと寝ていた。

新5合目には多分3時前に着いたかもしれない、真夜中で飛ばせたハズだから。
夏とはいえ外は肌寒く、まだ夜明け前の真っ暗闇だった。
と思いきやクルマを降りたそこは、天空いっぱいに宝石を散りばめたような星空。
私もお銀も娘達も息を呑み、まさに目を見張るばかり。
それはそれは、満天に輝く星空の大スペクタクルだった。

眠気も寒さも吹っ飛び、生涯忘れられない映像として4人の目に焼きついた。


白峰=モンブラン

2011年06月22日 08時35分17秒 | 家族
今回のスクーリングの最終日、お銀は例によっておみやげに菓匠三全のモンブランを買ってきてくれた。

このモンブランは肉まんを軽く押したような、東京ドーム型の平べったい曲線をしている。
ケーキとは言えモンブランには、意外にも平べったい東京ドーム型のこだわりを持っている。
かつて白峰=モンブランを真近に見た時、山頂の『なだらかさ』の印象が強かった所為かと思う。

モンブランの麓に、冬季五輪発祥地でもあるフランススキーリゾートのシャモニー(注)がある。
シャモニーからロープウエイで、高山病を避けるための途中中継を入れ、2800mを一気に上る。
そこは3800mエギュ・ドゥ・ミディ展望台で、富士山の山頂よりも標高は高い。
南東の方に目をやれば、ノコギリの歯のようなアルプスの白い峰々が、遥か遠くの彼方に見える。
後方には白いまんじゅうのような、なだらかな山頂をしたアルプス最高峰4800mモンブランが迫って見える。

半球形でも平べったいのでも美味しけりゃ、ホントは両方とも大好きなのだろうね。

注)標高3800mエギュ・ドゥ・ミディから見た標高1000mのシャモニーがU字谷の中に小さく見える。
   まだ幼稚園だった娘達に、『ハイジからのおみやげ』としてシャモニーで白い可愛いポシェットを買った。

痙性マヒと足踏み

2011年06月22日 06時04分06秒 | リハビリ・ADL
◇東北にも昨日梅雨入り宣言が出たけど、本当に梅雨入りしたのかな?
  たしかに午後はにわか雨が降ったけど、あれはお湿り程度だったのでは。
  今日の予報なんか晴れて最高気温33℃だもの、梅雨入りを出すのはまだ早かったのでは?

◇いつもどおりにリハビリをして、脳神経の迂回路開通が増えていることを身体で感じ取った。
  午前、午後の両方とも、前回の足踏みより僅かにチカラ強くなっていることを感じるが、どちらかというと午後の足踏みのほうが楽に感じる。
  これは午前の足踏みからあまり時間が経過していないので、午前のトレーニング効果が残っている所為だろう。

  私の負ったマヒは痙性マヒと言われているもので、
  早く動かそうとしたり、緊張したり、興奮したりすると、筋肉が硬直してしまい、かえって運動ができなくなってしまう。
  しかし、心穏やかにしてゆっくり動かすぶんには、全ての関節は問題なく動く。

  足踏みなどは全身運動を比較的に早く長く繰り返すので、痙性マヒの特性から見るとかなりハードルが高い。
  多少の困難があっても身体を慣らしてトレーニングをし続けて行かなくては、脳出血後遺症の克服は難しいだろう。

◇一昨日のブログに『咽るくらいの甘い・・』と書いたので、昨夜の夕食には粒あんの甘ーいおはぎが出た。
  サンキューというか、ごめんよ、ちーママにいろいろ気をつかわせてしまって。
  でも、大変美味しゅうございました。

   ps:足踏みをハードにしてから、どうも身体が糖分を欲しているような気がして。